少しだけ、寄り道です。御嶽山の噴火から1年です。何もできませんが、、、すべての犠牲者に手だけ合わさせていただきます。記事、写真は、毎日新聞からの引用です。
御嶽山噴火1年:今も娘の遺影に声かけ 長山照利さんの遺影を見つめる父親の幸詞さん=愛知県豊田市の自宅で、中島幸男撮影1年前の御嶽山(おんたけさん)の噴火で死亡した58人の中に、友人同士だった愛知県の高校3年生と小学5年生の少女2人がいる。父親たちは娘の遺影に声を掛け、のこされた品々に触れながら、心の整理をつけようと一日一日を過ごしている。
◇「夕食一緒に食べよう」
愛知県豊田市の小学校5年、長山照利(あかり)さん(当時11歳)の遺骨は今も、自宅マンションの一室にある。そばに置かれた写真から、照利さんがほほ笑みかけている。
「祖父母や親じゃなくて、小学生じゃないですか。すぐに納骨は……」。父の幸嗣さん(45)は声を絞り出した。家族は毎晩、照利さんの分の夕食も用意し、「一緒に食べよう」と声を掛ける。
6人きょうだいの3番目。一番下の弟(4)が今も「照利ちゃんいないね。帰ってこないね」と尋ねる。幸嗣さんは「そうだね」と答える。姉の死が理解できないようだ。
しばらくは、娘の写真や友達からの手紙を見ただけで泣けた。最近は娘のいない生活を少し受け入れられるようになってきたが、心の整理ができたわけではない。「助けてやれなかった。ずっと苦しむと思う」
噴火直後の山頂の様子が、目撃者などの話で少し分かってきた。「生きていらしたら、当時のことを聞きたかった」と、幸嗣さんが思う人がいる。噴煙で真っ暗になった山頂で、照利さんにジャンパーを貸してくれた後、犠牲になった横浜市の近江屋洋さん(当時26歳)のことだ。「みんな自分のことで精いっぱいだったはずなのに。本当にありがたいこと」と、改めて思いやりに感謝した。【中島幸男】
◇「行ってくるぞ」「ただいま」
照利さんと一緒に登山して亡くなった愛知県知立市の高校3年、伊藤琴美さん(当時18歳)の父、光夫さん(50)は、気象庁の定点カメラが映し出す御嶽山の画像をパソコンで見るのが日課だ。「琴美に『今日は雨だね』『雲に覆われて頂上が見えないよ』などと語りかけている」という。
遺影に「行ってくるぞ」「ただいま」と、1年前までは当たり前だったあいさつを欠かさない。その日の予定や出来事なども報告する。琴美さんがつけていた日記を読んで、新たな発見があった。共働きの両親の健康を気遣い、「自分が稼いで両親を旅行へ連れて行きたい」と書かれていた。
27日の月命日には、琴美さんの友人や一緒に登山した仲間たちが自宅に来て、琴美さんが好きだった花を手に励ましてくれる。長野県の60代の男性は噴火から3カ月にわたり、メールで現地の写真や情報を送ってくれた。「私たち家族が、何とか1年を過ごせたのは、こうした人たちのお陰」と感謝する。
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