在米の統一教会信者秀のブログ 95年8月~96年3月7つの鍵で施錠されたマンションの高層階で監禁下での脱会説得を経験。
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一体、後藤さんが何をしたというのか。
監禁され、信仰、生命までも脅かされなくはならないほどのことなのか。
後藤さんが望んだのは、統一教会の信仰を持つこと以外にあったのだろうか。
米本 ところで、koyomiさん(裁判ブログの世話人)が語っていたことですが、一番大変だったのは兄嫁さんだったのではないか、と。
なぜなら、兄や妹と違って、兄嫁さんにとって後藤さんはそれほど関係のない人。先の話でいえば、8カ月前に義弟となった人なわけです。
付き合いもなかったから、兄嫁さんが後藤さんに兄弟愛のような愛情を抱いていたわけではない。
反統一教会のために、行きがかり上、後藤さんを監禁することになった。 監禁から1年もしてまだ後藤さんの脱会の意思がないことがわかった段階で、夫にもうやめよう、義弟のことにはもう関わるのはよして、自分たちの家庭を築いていこうと思ったとしても、当然のことです。
それなのに、夫に引きずられてずるずると12年間。お兄さんは、心酔していた宮村の呪縛から抜け出ることができず、自分の家庭づくりよりも弟の脱会のほうを優先した。兄嫁さんはヒステリ状態になったと思いますが・・・。
後藤 陳述書にも兄嫁から受けた数々の仕打ちを書きましたが、確かに兄嫁は恐ろしかった。兄嫁が近くに居るだけで動悸が激しくなるほどでしたから。
ヒステリックになると何をされるか分からない恐ろしさがあった。
監禁が長引くと「このマンションを維持するのにいくらかかってると思ってるの!」と非難されました。そんな非難するくらいならこんなこと止めてすぐに引き払えばいいでしょ、とこちらは言いましたが、全く聞いてもらえませんでした。
後藤 兄嫁がヒステリーになると、もう手がつけられない。声は金きり声。目はフォックスアイ。正直、怖かった。
例えば、こんなこともありました。私が座っていると、兄嫁が中に氷と水が入ったボウルを持ってものすごい形相で現れて、私の後ろ襟首をガバッと引っ張り、「いい加減目を覚ましなさいよ!」と背中に氷水を流し込む。兄嫁の陳述書にも書いてありますが、兄嫁にとっては私が何をやっても不真面目な態度をとっているとしか見えなかったようです。
<感想>
兄嫁さん12年以上も監禁に関わるとは思ってもいなかったのでしょう。
それに、まともな感覚なら’いち抜けた’と関わるのをやめて良い立場です。
なにせ、肉親じゃないのですから。
それなのに、12年以上も、、、。
教会に対するうらみつらみを逃げ場のない後藤さんにぶつけたのか?
それにしても、凄まじい。
体格の差などは関係ない、きれた人間というのは本当に、マジ怖い。
弁のたつ、きれた女性に言い返しでもしたら、まちがいなく、3倍、いや10倍返しだ。
声は金きり声。目はフォックスアイ。背中にガバッと氷水を流し込む。
当然、逃げるが勝ちなんだけど、監禁されているから逃げられない。涙
米本 そして、食事制裁に。
後藤 私が30日間のハンストをやった後、家族は70日間に亘ってポカリスエットと少量の重湯だけしか出しませんでした。
その時の苦しみはもう表現できないほどです。
いよいよ餓死の恐怖が迫り、たまらず家族に見つからないようにそっと残飯や生米を食べました。切羽詰まった末、家族に食事を戻すよう頼み込みました。
兄は、さすがにこのまま死なれたらまずいと思ったのか、「もうそろそろ食事を元に戻してもいいのではないか」 しかし、これを聞いた兄嫁は、いかにも残念そうに憮然とした表情で、「えー,信じられない!」この人は、本気で私を殺すつもりなのかと心底恐怖を抱きました。
一審判決では、治療費の全額が認められた。
米本 空恐ろしくなるような話です。
後藤 30日間のハンストをやった後、結局解放されるまでの約2年間まともな食事を食べさせない仕打ちを受けました。
栄養失調状態が続き食物のことが頭から離れない。その時の家族の雰囲気はもう空気が凍り付いているような感じでした。
元々悪い仲ではなかった兄と妹もここまでするかと。彼らの顔から一切の感情が消え、能面のような表情で私を見る目には憎悪が見て取れました。
いつまでも頑として信仰を棄てようとしない私に対し「自分たちの人生計画が狂ってしまったのはおまえのせいだ」、と目が訴えていました。家族がここまでするようになってしまったのは、もちろん松永牧師や宮村から指導され感化されたことが大きい。「マインドコントロールされ、別の徹になってしまっている」と思い込んでいたのです。
<感想>
兄嫁の鬼嫁ぶりに拍車がかかり凄すぎます。
この頃の後藤さんは餓死の恐怖と戦い、あまりに辛すぎて眠りにつく際、このまま天に召して欲しいと祈ったこともあると聞いた記憶がある。
そこまで追い込まれている中で、食事制限を解いてもらう切羽詰まったお願い。
それを無下に拒否する。
脱会をしない後藤さんへの制裁以外の目的はあるまい。
米本 お兄さんたち3人は、後藤さんがマインドコントロールされていたと心から思っていたのでしょうか。そして、そのマインドコントロールを解くのに必死だったのでしょうか。
後藤 ええ、そうだと思いますよ。
自分たちは統一教会からマインドコントロールされて入信し、活動させられていたのだ、と思い込んでいる。本当は自分で信じて自分の意思で活動していたのですが。とにもかくにも、マインドコントロールの呪縛から解けたのは宮村先生や松永先生のカウンセリングのおかげと思い込んでしまっている。これも本当のところは拉致監禁による強制的な思想矯正なのですが。今でもマインドコントロール論を信奉しているでしょうね。もしそれが間違いだと気付いたら、アイデンティティクライシスになるでしょうね。
後藤 兄たちが心底、マインドコントロール論を信じきっていたのは、偽装脱会をした時、真っ先に西田公昭著『マインド・コントロールとは何か』やスティーブン・ハッサン著『マインドコントロールの恐怖』などの本を監禁現場に持ち込み、私に読ませた事実からも分かります。まあ、宮村や松永牧師に指示されて読ませたのでしょうね。
「おまえはこのようにマインドコントロールされていたんだよ」 と言いたいわけです。
何よりも兄が心酔していた宮村がバリバリのマインドコントロール信者です。
それは、宮村の共著『親は何を知るべきか』を読めばよく分かります。
類は友を呼ぶで兄たちの元信者仲間も、みんなマインドコントロール論を信じていたと思います。統一教会に入信したのを自分の責任では無く統一教会に責任転嫁するのにこれほど都合のいい理論は無いので元信者の皆さんの心にすっと入っていったのでしょうね。
彼らの仲間内ではマインドコントロール論に懐疑的になる環境はなかったと思っています。
ちなみに2冊とも私物。念のため、私は現役信者です。
<感想>
私はマインドコントロールは擬似科学だと確信しているが、もし、マインドコントロールがあるとすれば、後藤さんの家族の方がより強い「反統一教会のマインドコントロールの支配下」にあると思う。
大学教授や牧師の肩書きによる”権威性”により信じ込んでいるのか。
宮村氏に対する”恐怖”か。
宮村氏のやり方は恐怖政治的手法。拉致監禁から開放させる時期も家族に決めさせず、説得者(ディプログラマー)に決定権があるような絶対服従を強いている。
脱会させるためには何でもあり、しかも罪悪感はほとんどない。
「愛国無罪」という言葉があるが、まさに彼らのやっていることは「反統一無罪」だ。
せっかく?脱会したというのに崇拝対象が宮村にかわっただけ、人間性は凶悪になったようにさえみえる。
米本 インタビューの最後は寒々とした話になりますが、お母さんの病気、そしてその後亡くなられたことについてです。
まず、お母さんが重篤になられたときのことから、説明してください。
後藤 2012年5月頃のことです。福本先生(後藤さんの代理人)から電話がありました。「お母さんが病気で大変らしい。さっき、相手側弁護士から連絡が入った。見舞いに行ってあげたらいい」と。
病院名と住所が記されたFAXが送られてきた。数日後、病院に行き、主治医に説明を求めました。「脳が萎縮している。その上、大腸がんが併発している。意思疎通は難しい状態だ」。この先、長く生きられる可能性は少ないといった説明でした。
看護師に連れられ、母の病室に入るとベットに横になっている母の変わりように驚きショックを受けました。
後藤 痴呆については、2009年の11月頃の妹からの手紙に結婚の知らせと一緒に「お母さんの痴呆が進んでいます」と書いてあったので、理解していました。そのため、民事提訴の被告から外しました。
しかし、監禁解放後の2008年の7月頃に実家を訪ねたときには、母はそれなりに元気そうだった。そんなわけで、母のあまりの変わり様を見て、心底、驚きました。
米本 寒々しい話はまだありますね。
後藤 一人で見舞ったあと、日を改めて赤ちゃんと奥さんと3人で見舞いに行きました。母に何としてでも、嫁と孫の顔を見せたかったからです。母が認知できるかどうかということよりも、ともかく、母に見せたかった・・・。
宮村や松永の指導があったとはいえ監禁し続けた母に対して許しがたい気持ちは今もあります。しかし、それはそれとして、やはり母が生きている時に孫の顔を見せたかった。母にとって初孫でしたからね。
米本 そのとき、妹さんに会われたと聞いていますが・・・。
後藤 ええ、待合室に妹がいました。挨拶はしましたが固い表情で、妻と子供を紹介する雰囲気ではなかった。
米本 それから、お母さんが亡くなられた。
後藤 はい。2012年の9月20日に母が亡くなったことも、やはり、相手側弁護士から福本先生のところにFAXで連絡があって、初めて知りました。
それで、急遽、FAXに記された住所を頼りに、電車を乗り継ぎ遺体安置所に行き、母の亡骸と対面しました。
翌日、また相手側弁護士からのFAXで「喪主側としては徹氏に葬儀への参列をしてほしくない」という伝言が。監禁中亡くなった父の葬儀にも参加することができなかったので、(うめくように)結局両親の葬儀に参加できませんでした。
<感想>
米本さんがいうように寒々とした話。
しかも、係争中だから見舞いに行っただけでも、それほど家族に対して確執はなく良好な関係なのだとやられたりすることもある。実にやっかいだ。
村八分どころか村十分。
家族と統一教会を天秤にかけ、統一教会を取りやがった!としか思えないのだろう。
私事だが、弟から結婚の知らせは来なかった。私も出していない。
そもそも、どこに住んでいるのか知らないから出しようもないのだが、、、。
母はこう言った。「(弟の居場所を)教える必要がない。」
父と母は別居。(別居して20数年、いい加減離婚したのか?)
誰が亡くなっても連絡こないのは確実じゃないかな。
寒々どころか、読者が凍えるのでこの辺でやめとこ。
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後藤さんのインタビューの続き。
監禁されていた期間とは一変した生活。狭い監禁部屋の中だけの生活から、精力的に何度も海外に行く生活。私生活でも新しい家族を得ていく、、、。
米本 話題を変えます。12年間の単調な風景、暮らしとは言えないような暮らしから、監禁解放後は目まぐるしく風景が変わったと思います。とくに、海外に何度も出かけられたことです。これまで、何回、海外に。
後藤さんにはじめて会ったのはもう何年前のことだったかなぁ。
記憶が間違っていなければ2009年の8月だっただろうか。
印象に残ったのは、監禁中の心理描写を吹雪の中のホワイトアウトのような感じで描写していたこと。私流に言うと暗い深海に引きずり込まれた感じ、イメージ。
閉ざされていて、視界が最悪、極限に息苦しい。そんな感覚。
実感できる人は何人いるだろうかと思いながら聞いた覚えがある。
インタビューは
後藤インタビュー(上)-10年間毎日聞いた♪夕焼け小焼け♪から引用。
米本: 勝訴判決、おめでとうございました。良かったですね。
後藤: ありがとうございます。
米本: 以前、監禁の12年間より監禁から解放されてからの今日までの5年間のほうが長かった、と話されていたことがとても印象的でした。
後藤: いやぁ、12年間も長かったですよ。長さの質が違いますね。
米本: どういう風に?
後藤: 10年間以上、目に入るのは同じ壁と同じ天井、部屋にいる人も同じ。毎日夕方になると、どこからともなく 「夕焼け小焼け」が流れてくるのです。それを物憂げな気分で聞きながら、何もできない辛さ・・・怒りと絶望感、徒労感に襲われるのです。毎日、毎日。いま振り返ってみても、有意義に過ごした感覚がまるでないのです。
米本: 刑務所の囚人と同じ?
後藤: (語気を強めて)刑務所の人たちには刑期があるじゃないですか!刑期が終われば外に出られるという希望がある。しかし、私の場合、刑期がない。いつ終わるとも分からない。私はこのまま6畳一間の畳の上で死ぬのかと思っていました。社会から隔絶されている自分。その悔しさ、不安・・・。外の社会はどんどん変化し進歩している。そこから自分だけが取り残されていく。絶望的な思いで一杯でした。
後藤: ただ私の場合、信仰を持っていたので何とか精神が破綻せずに済みました。 あの状況で信仰がなければ、発狂するか、自殺するか、あるいは家族に暴力をふるっていたでしょうね。 「今生では結婚もできない、家庭も持てない。たとえ寂しい人生で死んでも、神だけはこの苦しみを知っていて下さっている。」そう思っていました。
イメージ マンションと夕暮れ
イメージ 鳥の群れ次はどこにとまるかな
<感想>
私が監禁されていたのは7ヶ月、後藤さんの12年5ヶ月からみれば短い。
夕焼け小焼け。私の場合、朝、夕に小さな鳥の群れが、向かいの大型マンションをあちらこちらと飛び移るのを次はどこに移るのか予想しながら眺めるのが限られた空間の中での楽しみだった。鳥達がどこともなく消えていくと一日も終わり、今日も出ることはできなかったと思った。
囚人と同じ?監禁のつらいところは何時まで続くかわからないところだ。
刑務所は刑期がある。無期だって相場がある(12~13年)いつまで続くかわからないというのは本当につらい。
私の場合は、信仰があったからというより、理不尽な仕打ちに屈したくなかった。
やつらのやり方に屈する自分。そんな自分自身は許せない。後悔する。それだけは嫌だった。
米本 それが解放されてからは?
後藤 これは、もう解放された自由の喜びにつきます。
行きたいところに行ける喜び。会いたい人に会える喜び。食べたいものを食べることができる喜び。情報を得たいと思えば、それを自由に手に入れる喜び。選挙があれば、自由に投票することができる喜び。心の底から自由の喜びをかみしめました。本当に嬉しかった。
この喜びの大きさは、自由が当たり前の世の中ではなかなか理解してもらうのが難しいと思います。
先の話に戻りますが、服役囚の場合、罪を犯して裁判所でキチッと裁かれ刑務所生活を送るわけです。拘束下から外に出ることができた喜びは私と同じかもしれませんが、彼らは罪を犯し裁判所で有罪判決を受けて刑務所に入っていたので自業自得と言えます。それに対して、私は統一教会に入信していただけです。だから、服役囚が監獄から解放されるのと喜びの質が違うと思うのです。
後藤 荻窪のマンションから追放される形で解放されたとき、思わず、自分が居たマンションを見上げましたよ。解放直後は食事制裁による栄養失調と長年の運動不足で体は衰弱していましたし、これからどうしたらいいか不安はありましたが、一方でその時の解放感と喜びは言葉では表現できないほどです。
外に出て、一歩踏み出したときにまず新鮮に思ったのは「知らない人が歩いている!」ということでした。
米本 どういう意味ですか。
後藤 私に対して敵意を持っていない人が普通に(路上を)歩いているという感覚です。
12年間、私の周りにいた人たちは特殊なごく限られた人たちでした。すなわち宮村や家族や元信者たちは、私の信仰に強烈に敵対する人達でした。10年以上監禁して説得しても頑として統一教会の信仰をいつまでも捨てようとしない。そんな私が憎たらしくてしょうがない。それが、彼らの言葉や態度にいつも表れる。
ですから、私にとっては彼らの存在自体がものすごいストレスでした。
それが外に出ると、私に悪い感情を持っていない知らない人が普通に通りを歩いている。こんなこと至極当たり前なんですがね。この感覚は、お分かりにならないと思いますが、実に新鮮でしたよ。
それから、監禁場所をメモするためにマンションのエントランスの段ボールの中にあったチラシを引っ張り出して、その裏紙に住所を石でこすって書き留めました。
米本 解放されてから、後藤さんは統一教会がある本部、渋谷の松濤を目指して歩くわけですが・・・。
後藤 このときは、とにもかくにも、腹が減っていた。約2年間まともな食事を取らせてもらえず飢餓状態でした。青梅街道を歩いていて、まず飲食店から漏れてくる匂いがたまりませんでしたねえ。
ラーメンの匂い、ドーナツの甘い匂い、焼き肉の匂い。
ショーウィンドーの見本料理に目が釘付けになりましたねえ。
しかし、一文無しで追い出されたのでどうしようもなかった。
後藤さんが目が釘付けになったのはこんな見本だろうか
<感想>
監視されることなく、外に出られる、たかだかこれだけのことが長期間叶わない。
違法行為とは関係なく、統一教会の信仰をもつこと自体が気に入らない。
そんな連中に囲まれ、過ごさざる得ない凄まじいストレスを感じる。
身体的にも激痩せするものもいれば、反対に激太りするものもいる。
ストレスの元凶がなくなり、新鮮な気持ちなったのもわかる。
チラシに石でこすって監禁マンションの住所を書き留めた後藤さん。
書くものがなかったから、私の場合は住所を暗記した。
後藤 あっそうそう。腹が減っていたと言えば、こんなこともありました。フラワーホームで食事制裁を受けていた時、飢餓と徒労感に苛まされながらも、唯一の慰めが夜寝るときの「日替わり丼」でした。今日は中華丼、明日は海鮮丼。
米本 ??
後藤 (ちょっと恥じらんだように)実は、その頃、毎晩、どんぶりに入った美味そうな丼物を食べることを夢想しながら眠りについていました。とにかく腹が減ってなかなか寝付けない。そこで、「もし、丼物を日替わりで食べるとするとご飯に何を乗せるか?」と自問自答し、ズーと想像を巡らせる。
連日の夢想の結果、定着した日替わり丼の一週間のメニューは牛丼、カツ丼、中華丼、親子丼、海鮮丼、麻婆丼、カレー丼の7種類でした。
その夢想は、かなりリアルで例えば海鮮丼の場合、イクラ、エビなど乗せる魚介類一つ一つを具体的に思い描き想像しましたよ。なぜ、丼物だったのか自分でもよく分かりませんが、多分、一番手軽にかき込むように食べられて種類が多いから想像しがいがあったのかもしれませんね。
後藤 だから、渋谷の松濤本部にたどり着いたとき、守衛の方がカツカレーを買ってきてくれたことが、ものすごくうれしかった。
肉も約2年間食べられなかったですからね。カレーのいい匂いが目の前から漂ってくる。それを冷たい目で見られることもなくおもいっきり食べられる。もう、うれしいのなんの・・・。
監禁下での食事制裁中、最もきつかったメニューはカレーでした。家族は同じテーブルでカレーをよく食べていたのですが、飢餓状態の時、特にカレーの匂いは強烈でした。食事の後もしばらく部屋にカレーの匂いが残るんですね。それが、またたまらない。
さらに、家族はいつもカレーのルーを残して翌日のお昼にカレーうどんにして食べる。もう、喉から手が出るほど食べたかった。
そんなわけで、解放後なんとか本部にたどり着き、いつも食べたいと思っていたカツカレーがパッと目の前に出されたとき、瞬時に神の計らいを確信し、深く感動しました。無宗教の米本さんには理解できないでしょうが(笑)。
夢にまでみたカツ丼と後藤さん
<感想>
寝ている時だけが、監禁されていることから解放される唯一の時間。でも、腹がすきすぎて寝れない。食事制裁は拷問と云っていいと思う。
後藤さんには申し分けないと思うことがある。
監禁中、私が断食をしなかったことではない。
はじめて、後藤さんの話を聞いた時のこと、12年5ヶ月の全容を理解できていなかった私は、
(基本的に体力を奪うので監禁中の断食はしないのに)何故、断食をしたのか?と詰問した。
後藤さんは「いや~、まぁ~」と苦笑い。
でも、その後、8年間は「断食」などしていない事実。断食に至るまでの長き時間のことを考え、他に打つ手がなくなりはじめたということがわかり、 なんともひどい質問をしたものだと反省した。
米本 話を戻しますが、監禁の12年間と自由になった5年間のことです。
後藤 監禁からの解放後、自由を享受する喜びはありましたが、一方で長い間社会から隔絶されていたため、いろいろ苦労がありました。 何しろ、住むアパートはないし、仕事もない。履歴書もまともに書けない。 監禁から解放されてから牛乳宅配の仕事が見つかりましたが、仕事上、車の運転が不可欠だった。ところが、運転免許証がない。監禁中、免許証が失効していましたから。これには、ほとほと困りました。そこで、改めて免許を取らなければならないけど、一から教習所に通うお金がない。そこで、一発試験で取ることにして、比較的お安いそのための講習に通いました。12年間のブランクはともかく大きかったです。皆が手にしている携帯電話に驚きました。パソコンは旧型のものをリサイクルショップで2000円で買って使い方を覚えたり。布団や鍋釜などの生活必需品の多くは教会員仲間から譲ってもらいました。これは、本当にありがたかったですね。
<感想>
たいした話ではないが、12年余りの監禁生活を経て、携帯電話に驚いたという後藤さんの話を聞いていた。
私が監禁されたのも1995年8月~、後藤さんの12年の監禁生活が始まる1ヶ月前、当時は携帯電話はそれほど普及していなかった。
私も当時持っていたのはポケベルだった。
そんな後藤さんから絵文字入りのメールがきた時にはたいそう驚いた。
それにしても、12年のブランクを経て、一から生活いや人生設計を立て直す、大変な作業だ。
拉致監禁は、ただ信仰を脅かすだけではない。職業、将来の伴侶を奪い、時として新しく築いた家族をも引き裂く。
米本 12年間よりこの5年間が長かったというのは、上から目線で申し訳ないけど、後藤さんが成長したからではないでしょうか。子どもの頃は時間が経つのが長く感じられるけど、大人になるとあっと言う間に1日が過ぎていく。それは、子どもの頃は様々な刺激を受け、成長するがゆえのことではないかと思っています。ぼく個人のことになるけど、大腸がんになっていろんなことを学びました。入院期間は5週間。退院してから12週間(インタビュー当時)になりますが、入院中のほうがものすごく長く感じられた。
後藤 (眉間に皺を寄せ、沈んだ調子で)確かにこの5年間での経験で、私の認識は大きく変わりました。特に人に対する見方が変わったと感じます。
例えば、こんなことがありました。監禁解放後の入院中、かつての信仰仲間が見舞いに来て下さって本当に嬉しかったのですが、その中に一人の女性がいました。
久しぶりに会った彼女と少し話をしてみると、私が監禁される前に知っていた彼女とはだいぶ違っていました。彼女は統一教会の信仰から少し離れているような状態でした。
彼女の変貌に私はとてもショックを受け、正直、怒りを覚えました。言葉には出して言いませんでしたが、「いったいどうしたっていうんだ!俺は監禁されながらも自分の信仰を貫くため12年間も忍耐してきたっていうのに!」 といった思いが湧いてきました。
自分が死線を彷徨いながらも苦労して信仰を全うしたとの強烈な思いが、変貌した彼女への怒りとなったのです。
私は、わざわざお見舞いに来てくれた彼女に厳しい言葉をまくし立て、連日、彼女のためによかれと思い覚えたてのメールで一方的に文先生のみ言葉の一節を送りました。そんな私の言動に彼女が反発したのは当然の成り行きでした。彼女とはそれっきりになってしまいましたが、あの時の私は異常でしたね。「信仰傲慢」だったのです。今となっては深く恥じています。 今では、人に対して多角的に見ることができるようになったと思います。
米本 そうなった契機は。
後藤 宿谷麻子さんの存在は大きかったですね。宿谷さんに関しては米本さんの本『我等の不快な隣人』によって初めて知ったのですが、ものすごく衝撃的でしたね。統一教会を拉致監禁によって辞めた元信者で、その後、統一教会にも拉致監禁グループにも批判的になった方です。
「拉致監禁をなくす会」の役員会などで交流を持ち、私の裁判を支援する裁判ブログの世話人にもなって頂きましたが、こういう人もいるのかと思いましたね。koyomiさん(裁判ブログの世話人)もそうです。
このような交流がきっかけとなって、人に対する見方が変わり視野が広がっていったと思います。
在りし日の宿谷麻子さん
<感想>
私にとっても、宿谷さんの存在は小さくない。生前お会いすること叶わなかったが、『我等の不快な隣人』を通して知った。拉致監禁がこれほどまでのPTSDを引きこす原因になり得るのかと驚愕すらした。
そして、著者の米本さんをはじめ、オーストラリアのYOSHIさん、後藤裁判を支援する裁判ブログの世話人のKoyomiさん、小川さん、、、、。立場の異なる人達との交流(ネット上も含め)は視野を広げてくれる。
米本 どんな風に?
後藤 拉致監禁の被害といっても単純一様ではなく、その被害者個々人やその状況によって千差万別であるということです。
例えば、拉致監禁の2次被害というものもあります。統一教会から脱会させるために信者を監禁するのが1次被害。そして、拉致監禁から逃げ帰ってきた信者が、同じ信者仲間から冷たくされ傷つけられたという事例が2次被害です。
それだけでなく、3次被害ということもある。
これは、拉致監禁の被害者が自分の体験談を話すなどの拉致監禁を撲滅するための様々な活動を行うときに封印してきた拉致監禁体験が蘇り、PTSDが発症してしまうという事例です。だから、拉致監禁の被害者と対面するときには、細心の注意を払うように心がけています。
米本 確かに、2次被害は多いです。火の粉ブログのコメント欄に投稿されている黒い羊さん、秀さんもそうです。拉致監禁から逃げ帰ってきた人で、教会が温かく迎え入れたケースのほうがむしろ少数だったでしょうね。
3次被害もそう。拉致監禁体験者である埼玉の女性教会員は、上から拉致監禁反対のデモと集会に参加しろと言われて、嫌で嫌でしかたがなかった。それでどうしたらいいかと相談を受けたことがあります。
また、韓国の女性教会員は集会に参加することを強要され、それがもとでかなりひどいPTSDになってしまった。
<感想>
2次被害について:私の名前も出ているので少しだけ概要を話すと、監禁から出てきてから、反対派のスパイと影で言っている奴いるというのを、大学在学中に学生部長だった人物にあった際に聞いた。誰とまでは言わなかったが「秀さんがスパイだって言っている人がいるよ。」と。アホくさだが、教会批判(霊感商法やら)も平気でしていたので、煙たがれたのだろう。
最近、この話をしたところ、アメリカの拉致監禁被害者の一人からはこう言われた。
「(笑)本当にスパイなら、秀さんみたいに(教会批判やら)なんか言いませんよッ!静かに言うことを聞くふりをして、、、密かに情報を流す。それがスパイでしょ。」
しかし、やっとの思いで戻ってきても、いろいろ警戒されたりなのだ。(フ~ッ。)
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統一教会信仰訴訟で学生、佐賀大双方が控訴 佐賀新聞
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.2678129.article.html
佐賀大の准教授が統一教会への信仰を侮辱したなどとして、同大に約9万円の支払いを命じた佐賀地裁判決を不服として、大学側と原告の元女子学生側の双方が12日までに、福岡高裁に控訴した。
判決では同大の50代准教授が2012年2月、学生信者団体の代表だった20代の元女子学生に統一教会からの脱会を執拗(しつよう)に勧め、両親の信仰も侮辱したと認定。発言は「信仰の自由を侵害する」と判断した。原告側は440万円の損害賠償請求が減額され、「精神的苦痛を過小評価され、納得できない」としている。 5月12日(米東部時間)追記
賠償額や%にこだわる山口貴士弁護士+エイト氏
さて、まずはこちらの新聞記事を見ていただきたい。
数百万の損害賠償を求める裁判であり、国に対し支払い命令が出たが、小額であったこと等、佐賀大学の裁判と似ている。
・<裁判官暴言>「あなたのせいで左遷」に慰謝料 長野地裁=毎日新聞 2月2日(日)13時0分配信
民事訴訟の口頭弁論で担当裁判官に暴言を吐かれ、公平な裁判を受けられなかったとして、長野県飯田市の男性が国と長野地裁、裁判官に約220万円の慰謝料などを求めた訴訟の判決で、地裁飯田支部(加藤員祥<かずよし>裁判官)は男性の訴訟活動を制限する感情的な発言があったと認め、国に慰謝料3万円の支払いを命じた。30日付。裁判自体は公平だったと判断し、地裁や裁判官への請求は退けた。 判決によると、男性は2010~11年に飯田支部であった損害賠償訴訟の被告。11年8月の第6回口頭弁論で、担当の樋口隆明裁判官が、新たな主張を展開した男性に「今日、結審する予定だった」「あなたの審理が終わらないので、上司から怒られているんだ。私の左遷の話まで出ている」などと突然、顔を赤らめて怒り、男性に恐怖感を抱かせた。加藤裁判官は、樋口裁判官の個人的な事情を理由にした感情的な発言だったと違法性を認めた。 一方で、樋口裁判官が発言後、男性の言い分を聞いたことなどから、裁判の公平が損なわれたとの主張は認めなかった。【横井信洋】
ある人がこう評している。
「加藤員祥裁判官は、樋口隆明裁判官の後輩にあたる46期。中略~今回の判決は、勇気を持って、法に基づき、先輩裁判官の暴言の違法性を認めたという点で加藤員祥裁判官はとっても
偉いと思います。」
「裁判官として、尊敬に値すると思います。」
「一般市民の発言ではなく、判決の結果という、原告(=暴言の被害者)の生殺与奪を裁判官=権力者の発言、すなわちパワハラとも評価できる発言が、「3万円」の慰謝料というのは、あまりに低すぎると思います。」
じつに同感できる内容です。
先輩裁判官をフェアに法に基づいて裁くというのは言うほど簡単ではないのでしょう。
生殺与奪可能な権力者からの暴言に対し、「3万円」という慰謝料は本当に少ないと思います。
ちなみに、山貴&エイト流を踏襲すると、220万円の請求に対して支払い命令は3万円ですから1.36%程度が認められたに過ぎず、実に98.64%は認められていないので、被告側の実質勝訴とか原告側の実質敗訴ということになります。
この”ある人”は山貴&エイト流なアホなことは言わないと思います。
エイト氏の発言
「佐賀地裁の波多江真史裁判長は准教授の元女学生に対する発言を「信仰の自由、名誉感情を侵害する違法なもの」として佐賀大学に請求額の2%に当たる計88.000円の支払いのみを命じた。国家賠償法を適用したため准教授の個人責任については否定した。」エイト氏
「“佐賀大学事件”で大学のカルト対策の正当性を認める画期的判決―佐賀地裁」より
「今回の地裁判決は“拉致監禁キャンペーン”の要点を基準にした視点からみれば実質原告側統一教会側の敗訴である。
現に判決直後、原告側代理人の統一教会幹部信者弁護士福本修也弁護士は「賠償額が安すぎる」などと憤慨していたそうだ。弁護士費用も50万円と低額の認定で、訴訟費用に関しても原告と被告親族の間に生じた訴訟費用の内40分の39を原告負担、被告宮村氏との間に生じた訴訟費用の200分の199を原告負担と、99%以上、つまり殆ど訴訟費用が原告の負担とされた。請求が棄却された被告松永牧師らとの間に乗じた部分は当然ながら全額原告負担だ。」エイト氏
「“拉致・監禁”は認定されず、キャンペーン失敗の後藤事件地裁判決は統一教会サイドの実質敗訴か」より
エイト氏の情報源?山口貴士弁護士のブログから
3 請求金額/容認額
原告A:請求額220万円(認容額4万4000円)
原告B,C:請求額110万円(認容額2万2000円)
佐賀大学に対する関係で、いずれも、請求額の2%を認容。
被告Yに対する請求は棄却した。(国家賠償)
奇妙な論理だが、
山貴+エイトのロジックには、請求額に対する賠償金額の割合が低いと負けといういうのがあるらしい。
長野地裁の判決とて、減額されたのには相当の理由はあろうが原告勝訴はゆるがない。
是非、ある人に指導していただきたいものだ。
判決内容からみてどうだったのか。
山口貴士弁護士は”大学におけるカルト対策の正当性と必要性を認めた”と評し、エイト氏も”大学のカルト対策の正当性を認める画期的判決”としている。
この点については、火の粉ブログでの神々の黄昏氏のコメントを読んでみてほしい。
大学におけるカルト対策の正当性とか必要性は争点ではなく、今回の裁判の争点は7つ。
判決内容は下記で確認して下さい。
佐賀大学裁判判決文 VOL1
佐賀大学裁判判決文 VOL2
佐賀大学裁判判決文 VOL3
順にみてみよう。
争点(1)(被告森の本件発言が「公権力の行使」に該当するか(予備的請求原因))について
(原告らの主張)
被告森の本件発言は,原告元学生の指導教員として,原告元学生を学内の研究 室に呼び出して本件発言に及んだものであり,外形的・客観的に見て,国立大学法人の教職員による学生指導として「その職務を行うについて」なされたものであり,「公権力の行使」に該当する。
(被告佐賀大学の主張)
被告森の本件発言は,大学職員と学生という関係性とは無関係な,原告元学生に対する恋愛感情の発露であり,「公権力の行使」とはいえない。
判決は
被告森の本件発言は,被告佐賀大学の学生に対する安全教育の一環として,カルト的団体からの勧誘や被害にあった場合に関する相談として,客観的に職務執行の外形を備える行為であったと認めるのが相当である。したがって,本件発言は,被告森が「その職務を行うについて」したものと認められる。
平たく言って、「公権力の行使」だったという認定。
ただし、それゆえに国家賠償法の適用になって、被告らが原告らに対し民法上の損害賠償責任を負うことはなく、また,原告らの被告森に対する請求はいずれも理由がない。となる。
争点1は、原告の勝ち。
争点(2)(被告森の本件発言によって,原告元学生の権利又は法律上保護される利益が侵害されたか。)について
(原告元学生の主張)
被告森の本件発言は,統一協会の教義及び教義に基づく合同結婚式を批判・否定するなどし,合同結婚式により婚姻した原告元学生の両親を聞くに堪えない言葉で侮辱した上,統一協会からの脱会を強要したものであり,これにより原告元学生の信仰の自由及び名誉感情が侵害された。
(被告らの主張)
被告森の本件発言は,原告ら自身の精神活動に直接に向けられたものではなく,その帰依する宗教団体又は信仰の対象に向けられており,これによりいわば間接的に自己の信仰生活の平穏が害されたに過ぎず,その不利益は,法的救済の対象とはなり得ない。
判決は
「あんたがもしそのままいけば。犬猫の暮らしになるったい。」「じゃあ,やめるべきやん。原理教なんて。」「はっきり言ってあなたをやめさせるべきだと思ってる,原理教から。」「犬猫の教えなんだよ。駄目なんだよ,だからそれは・・・。やめなさいって言うのはそこったい。」などと,統一協会の教義を信仰することをやめないと言っている原告元学生に対して,それをやめるように,「犬猫の暮らし」「犬猫の教え」などと配慮を欠いた不適切な表現を繰り返し用いたものであって,原告元学生の信仰の自由を侵害するものと評価するのが相当である。
統一協会の教義を信仰している原告らを「犬猫の結婚」「犬猫の生活」「犬猫の暮らし」などと配慮を欠いた不適切な表現を繰り返し用いて,侮辱する発言をしており原告元学生の名誉感情を侵害したものと評価するのが相当である。
争点は「原告元学生の権利又は法律上保護される利益が侵害されたか。」だから、
争点2も原告の勝ち。
争点(3)(被告森の本件発言が原告元学生との関係で,仮に違法であるとした場合,違法性の程度はどのようなものか。)について
(原告元学生の主張)
被告森の本件発言により,原告元学生の信仰の自由及び名誉感情が著しく侵害された。
(被告らの主張)
損害賠償責任における違法性判断は,当該発言が発せられるに至った経緯,発言の趣旨・内容,程度,発言がなされた際の客観的な状況等を総合的に考慮して決せられるところ,本件では,原告元学生は被告森と一対ーで談笑しながら会話をしており,原告元学生は,被告森の発言が不愉快であるならば容易に退出することもできるにもかかわらず被告森との会話を意図的に引き延ばした上で,秘密裏に録音しているのであるから,金銭賠償をもって補わなければならないほどの強度の違法性はない。
判決は
被告森の本件発言は,配慮を欠いた不適切な表現を繰り返し用いるなどして,原告元学生の信仰の自由を侵害し,また,同人を侮辱するものである。
事情を考慮しての判決は
以上の諸事情を考慮すると,被告森の本件発言の社会相当性逸脱の程度を過大視することはできず,また,本件発言によって被告元学生が被った精神的苦痛は,さほど大きいものとはいえないのであるから,被告森の本件発言によって,原告元学生が被った精神的苦痛に対する慰謝料の額は,4万円と認めるのが相当である。
そして,本件における審理の内容,経緯,難易度,認容額その他本件に現れた一切の事情に照らせば,原告元学生の関係で,被告森の本件発言と相当因果関係のある弁護士費用の額は,4000円と認めるのが相当である。
被告側の主張は金銭賠償するほどのものではないということだったが、支払いを命じられている。減額されたことは残念ではあるが、原告の敗訴とはいわないのが常識だあろう。
<事情について>
トイレに入っていた別大学のCARPの学生がバケツいっぱいの生タマゴを頭からかぶせられるような被害がおきている。(誰がやったのか”証拠”はない。)
単純に違法な勧誘はやめましょう。というレベルではない大学の状況(大学のカルト対策とその影響下)の中、CARPが積極的に対策に乗り出すのは当然ではないだろうか。
秘密裏の録音(秘密録音)はあたかもいけないことのように印象づけられているようにも思えるが、はたしてそうだろうか。
今回の録音内容は、証拠として採用されている。
秘密録音により発覚した大阪府警警部補脅迫事件のような事件もある。
今回のケースでも、秘密録音された音源がなければ当然弁護方針は、「そんなことは言っていない。」、「証拠がない。」であったことは推測するに難しくない。
動かぬ証拠を残したというのはとても大きい。
この録音なくして、今回の判決はなかったと言ってよいと思う。
争点(4)(本件発言の際,原告父及び原告母の権利又は法律上保護される利益を侵害することについて,被告森に,故意又は過失があったか。)について
原告父及び原告母の主張)
被告森は,原告元学生が原告父及び原告母に相談や報告することにより,原告父及び原告母の名誉感情を侵害することを十分認識・認容して本件発言に及んでいる。
(被告らの主張)
原告元学生が被告森の本件発言を原告父及び原告母に伝えることがあると,被告森は思っておらず,また,原告元学生が伝えることがほぼ確実であるとはいえないから,被告森に故意又は過失はない。
被告森は,原告元学生に対し,本件会話において,「だから言いたいんだよ,あなたの親・・・会いたいんだよ,あなたの親たちに。あなたたちはおかしい結婚をしたんだよって。」,「お父さんお母さんに,同じこと言うよ。あなたたちは,犬猫の暮らしだって言うよ,はっきり。」などと言っていることに加え,本件会話の終盤に「俺が言いたいことは言った。お父さん,お母さんにもし話すようなら,俺行く。」「こういうこと先生が言ってるよって,言ってみたら。」と発言しており,以上によれば,本件発言の際,原告父及び原告母の権利又は法律上保護される利益を侵害することについで,被告森に,未必的な故意があったものと認めるのが相当である。
これは一目瞭然、被告は故意じゃないよと言っているが、判決は故意があると認定しているから、被告が負けだ。
(原告父及び原告母の主張)
被告森の本件発言の内容は,原告元学生に対し,「だから,言いたいんだよ。会いたいんだよ,あなたの親に。あんた達はおかしい結婚をしたんだよって。」「そんな結婚は,はっきり言って犬猫の結婚だよ。」「お父さんお母さんみたいな生き方はしない方がいいよと。」などと,原告父及び原告母の名誉感情を著しく毀損する言動を一方的に浴びせかけているものであり,同言動を,原告元学生を通じて原告父及び原告母が知るに及べば,同人らの名誉感情は著しく毀損されるものであることは明らかで,現に,毀損されている。
(被告佐賀大学の主張)
被告森の発言は,同人の結婚観に基づき人間と動物の違いについての一般論としての比喰・たとえ話としてなされたものであり,その文脈からすれば侮辱ではない。また,発言内容,状況などを考えると金銭賠償をもって補わなければならないほどの強度の違法性まではない。
(被告森の主張)
被告森は,原告父及び原告母に対して直接発言を行っておらず,原告元学生が,被告森との会話を隠し録音した音声を,原告父及び原告母に聴かせているのであるから,被告森の本件発言は,金銭賠償をもって補わなければならないほどの強度の違法性まではない。
判決は
被告森は原告父及び原告母に対して,直接発言をしておらず,原告元学生において,被告森との会話を無断で秘密裏に録音した音声を聞かせていることなどの事情を考慮すると,被告森の本件発言によって,原告父及び原告母が被った精神的苦痛に対する慰謝料の額は,各2万円と認めるのが相当である。また,本件における審理の内容,経緯,難易度認容額その他本件に現れた一切の事情に照らせば,原告父及び原告母の関係で,被告森の本件発言と相当因果関係のある弁護士費用の額は,各2000円と認めるのが相当である。
争点(3)同様に”事情”は考慮されているが、金銭賠償不要という被告の主張は認められていない。
争点(6)(被告森の本件発言は,「事業の執行につき」なされたものか。)及び争点(7)(被告森の本件発言について,被告佐賀大学は,その事業の監督について相当の注意をしたか。)について
原告らの主張)
被告森の本件発言は,外形的・客観的に見て,被告佐賀大学が組織的に関与たし教員による学生指導であるから,被告佐賀大学の「事業の執行につき」なされたものである。
(被告佐賀大学の主張)
被告森の本件発言は,被告森の私的行為であり,被告佐賀大学の「事業の執行につき」なされたものではない。被告森は,原告元学生に複数回の一方的で私的な感情を記載したメールを送り,メール以外にも恋愛行為に及ぶなど指導を逸脱した行為に出ており,原告元学生は 被告森の動機に恋愛感情があることを認識していた。原告元学生としては,被告森が恋愛感 情を抱き,指導を逸脱した行動に出ることを認識し得たのであり,被告森の本件発言が私的な逸脱行為であることは,原告元学生からすれば,外形的・客観的に明らかであった。
(被告佐賀大学の主張)
被告佐賀大学は,被告森が原告元学生に対して求愛するなどの行為に及んだりすることのないように十分な対策を日頃から講じていた。
判決は
被告森の本件発言は「公権力の行使」に該当し,国家賠償法1条1項が適用され,民法715条は適用されないから,争点(6)及び争点(7)については,いずれも判断の前提を欠く。
佐賀大学は、あくまで森准教授の私的行為で逃げの一手。
しかし、判決は森准教授の私的行為ではなく「公権力の行使」であったことを追認している。
国家賠償法が適用されるので、民法は適用されませんということだが、これによって森准教授の言動に問題がなかったということを意味するものではない。
結局、国賠法ということは税金を払っている日本国民が、この変な准教授の不始末の肩代わりをさせられたということか?
森准教授は原告元学生の大学でのゼミ指導教員と言う立場である。
ゼミ指導教員となれば、学生に対して卒業や就職について左右させるような権力がある立場。
学生にとって、生殺与奪権を持ち「公権力を行使」する権力者のアカハラ、パワハラ、セクハラ発言が、「8万8千円」というのは低くすぎると思います。
「邪教」もとより、「原理教」ってなんだ?
他の者の大切にしていることを大切に扱えないで「脱会」の説得などできるはずもない。
そうそう、ある人のブログはこちら
これまで、判決文をアップしてきました。
全体を通してどう判断されているかをよく読んでいただきたい。
青字部分が今回アップした部分
第3 争点に対する判断
1 後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。(1)~(21)
2 争点(1)(被告森の本件発言が「公権力の行使」に該当するか(予備的請求原因))について(1)~(2)
3 争点(2)(被告森の本件発言によって,原告元学生の権利又は法律上保護される利益が侵害されたか。)について(1)~(2)
4 争点(3)(被告森の本件発言が原告元学生との関係で,仮に違法であるとした場合,違法性の程度はどのようなものか。)について(1)~(4)
4 争点(3)(被告森の本件発言が原告元学生との関係で,仮に違法であるとした場合,違法性の程度はどのようなものか。)について(1)~(4)
5 争点(4)(本件発言の際,原告父及び原告母の権利又は法律上保護される利益を侵害することについて,被告森に,故意又は過失があったか。)について
6 争点(5)(被告森の本件発言は,原告父及び原告母の権利又は法律上保護される利益を侵害したか。また,仮に侵害が認められ,違法であるとした場合,違法性の程度はどのようなものか。)について
7 争点(6)(被告森の本件発言は,「事業の執行につき」なされたものか。)及び争点(7)(被告森の本件発言について,被告佐賀大学は,その事業の監督について相当の注意をしたか。)について
8 結論
(別紙)被告森と原告元学生の会話要旨
2 争点(1)(被告森の本件発言が「公権力の行使」に該当するか(予備的請求原因))について
(1)まず,本件発言は,被告森が「その職務を行うについて」したものかどうかについて検討するに,国家賠償法1条1項は,公務員が主観的に権限行使の意思をもってする場合に限らず,客観的に職務執行の外形をそなえる行為をしてこれによって,他人に損害を与えた場合には,国または公共団体に損害賠償の責めを負わしめて,ひろく国民の権益を擁護することをもって,その立法の趣旨とするものと解すべきであることからすると,同項の「その職務を行うについて」とは,「客観的に職務執行の外形をそなえる行為をすると解釈するのが相当である(最高裁昭和29年同第774号同31年11月30日第二小法廷判決・民集10巻11号1502頁参照)。よって,本件発言が客観的に職務執行の外形をそなえる行為といえるかどうかが問題となる。
前記争いのない事実等(1)(2)(4)及び認定事実(20)によれば,被告森の本件発言は,被告佐賀大学の准教授であった被告森が,被告佐賀大学内の被告森の研究室内で,被告佐賀大学3年生であり,被告森の担当するゼミのゼミ生であった原告元学生に対してなされたものである。また,一般に,大学は,学生に対し,在学契約に基づき学術の中心として,広く知識を授けるとともに,深く専門の学芸を教授研究し,知的,道徳的及び応用的能力を展開させる(学校教育法83条1項)という大学の目的にかなった教育役務を提供する義務があるところ,その前提として,学生が教育を受けることができる環境を整える義務を負い,在学契約に付随して,大学における教育及びこれに密接に関連する生活関係において,学生の生命,身体,精神,財産,信教の自由等の権利を守るべき安全配慮義務を負っていると解される。そして,前記認定事実(2)(3)(5)(9)によれば,被告佐賀大学は学生に対する安全教育の一環あるいは情報開示が不十分な勧誘活動を行うカルト的そのような活動を行っている者を見として,正体を隠し,団体からの勧誘や被害にあった場合や,かけた場合は,速やかに学生生活課に知らせることなどの注意喚起を行っており,前記認定事実(4)(6)(9)(10)(16)ないし(18)によれば,被告佐賀大学を含む多数の大学では,CARP及び統一協会をカルト的団体と把握していることが認められる。そしてまた,前記認定事実(19)(20)によれば,被告森は,原理教に関して,原告元学生と深く話し合いたいとして,統一協会や合同結婚式を批判するなどの本件発言に及んでいることが認められる。
以上によれば,被告森の本件発言は,被告佐賀大学の学生に対する安全教育の一環として,カルト的団体からの勧誘や被害にあった場合に関する相談として,客観的に職務執行の外形を備える行為であったと認めるのが相当である。したがって,本件発言は,被告森が「その職務を行うについて」したものと認められる。
(2)そして,国家賠償法1条1項にいう「公務員」には,国または公共団体が行うべき公権力を実質的に行使する者も,同条項にいう「公務員」に含まれると解されるところ,国立大学法人の成立の際に存在していた国立大学の職員が職務に関して行った行為は,純然たる私経済作用を除いては一般に公権力の行使に当たると解されていたこと,国立大学法人等の成立の際に,現に国が有する権利または義務のうち,各国立大学法人が行う国立大学法人法22条1項に規定する業務に関するものは,国立大学法人がこれを承継することとされていること(同法附則9条)等に鑑みると,国立大学法人は国家賠償法1条1項にいう「公共団体」に当たり,その職員が行う職務は純然たる私経済作用を除いては一般に公権力の行使に当たると解するのが相当である。したがって,被告森の本件発言は,公権力の行使に当たる公務員である被告森-によって,その職務を行うにつきされたものと認められる。
以上によれば,被告森の本件発言については国家賠償法1条1項が適用されるところ,同項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には,国又は公共団体がその被害者に対して賠償の責めに任ずることとし,公務員個人は民事上の損害賠償責任を負わないこととしたものと解され(最高裁昭和28年(オ)第625号同30年4月19日第三小法廷判決・民集9巻5号534頁,最高裁昭和49年同第419号同53年10月20日第二小法廷判決・民集32巻7号1367頁等),また,この趣旨からすれば,国又は公共団体が被害者に対しで同項に基づく損害賠償責任を負う場合には,国又は公共団体も民法715条に基づく損害賠償責任を負わないと解するのが相当である(最高裁平成17年(受)第2335号,第2336号同19年1月25日第一小法廷判決民集61巻1号1頁参照)。したがって,原告らの主位的請求原因は理由がなく,被告らが原告らに対し民法上の損害賠償責任を負うことはなく,また,原告らの被告森に対する請求はいずれも理由がない。
3 争点(2)(被告森の本件発言によって,原告元学生の権利又は法律上保護される利益が侵害されたか。)について
(1)前記争いのない事実等(4)及び、認定事実(20)によれば,被告森は,本件発言において,原告元学生の自由意怠を尊重する発言もしているが,「あんたがもしそのままいけば。犬猫の暮らしになるったい。」「じゃあ,やめるべきやん。原理教なんて。」「はっきり言ってあなたをやめさせるべきだと思ってる,原理教から。」「犬猫の教えなんだよ。駄目なんだよ,だからそれは・・・。やめなさいって言うのはそこったい。」などと,統一協会の教義を信仰することをやめないと言っている原告元学生に対して,それをやめるように,「犬猫の暮らし」「犬猫の教え」などと配慮を欠いた不適切な表現を繰り返し用いたものであって,
原告元学生の信仰の自由を侵害するものと評価するのが相当である。(2)また,被告森は,本件発言において「だから言いたいんだよ,あなたのあなたの親たちに。あんたたちはおかしい結婚をしたんだよって。」「そんな結婚は,はっきり言って犬猫の結婚だよ。」「お父さん,お母さんみたいな生き方はしない方がいいよと。だからあなたがそういう生活したいって言うなら,そら仕方ないさ。」「そういう犬猫の生活すればいいさ。」「お父さんお母さんに,同じこと言うよ。あなたたちは,犬猫の暮らしだ、って言うよ,はっきり。」「あなたは自由をなくしてる奴隷だよ。」「だから犬猫だって言ってるのはそこたい。」などと統一協会の教義等に対する批判に留まらず,統一協会の教義を信仰している原告らを「犬猫の結婚」「犬猫の生活」「犬猫の暮らし」などと配慮を欠いた不適切な表現を繰り返し用いて,侮辱する発言をしており原告元学生の名誉感情を侵害したものと評価するのが相当である。
4 争点(3)(被告森の本件発言が原告元学生との関係で,仮に違法であるとした場合,違法性の程度はどのようなものか。)について
(1)前記3のとおり,被告森の本件発言は,配慮を欠いた不適切な表現を繰り返し用いるなどして,原告元学生の信仰の自由を侵害し,また,同人を侮辱するものである。
(2)しかしながら,本件発言の経緯においては,以下の事情が認められる。
ア 前記認定事実(4)(6)(10)によれば,CARPは,全国各大学のカルト対策に対して,平成22年,広報渉外局を設置し,各大学における情報の収集,蓄積等を行い,平成23年1月末には,全国の19大学に対し,各大学C ARP代表者名義で「全国カルト対策ネットワークについての質問状」を送付し,各大学CARP代表者は各大学の担当者に面会するなどし,同年3月上旬から,全国の20大学の学長宛に各大学CARP代表者名義で「大学における『カルト対策』についての要望書」を提出し,同年6月15日には,公式ブログにおいて,「カルト対策」が特定宗教を信じる学生の人権を侵害し,大学における信教の自由を侵害するものであることを主張し,立証する論文を募集し,その主旨として,「宗教を理由に行われるパワハラ,アカハラもテーマに含まれる」とし,その審査基準として,「具体的にどのようなことが行われているのかを調べ,それに基づいて論じること」を挙げ,また,同年8月に行われたW-CARPの米国研修において,W-CARPの世界会長文亨進は,日本における大学のカルト対策に対して,「闘わないといけない。犠牲がどんなに出ても闘わないといけない。」旨発言しており,CARPは,平成23年1月末以降,大学のカルト対策への対決姿勢を強め,抗議活動や情報収集活動を促していた。
イ そして,前記認定事実(1)(6)(7)(8)(11)(14)(16)(18)によれば,原告元学生は,大学のカルト対策に関し,佐賀大学CARPの学舎長から指導を受けたり,他大学を含めたCARP会員と情報を交換したりして情報を得ており,原告元学生は,前記認定事実(6)の論文募集がなされていること及び同認定事実(10)のW-CARPの世界会長文享進の発言内容を知っていた旨供述していることや,平成23年9月頃には佐賀大学CARPの代表となっていることなどからすれば,原告元学生は,本件発言のあった平成24年2月10日より前に,前記論文募集の事実及びW-CARPの世界会長文享進の発言内容を知っていたと推認するのが相当である。また,原告元学生は,平成23年11月2日,被告佐賀大学が全学生宛に送信したカルト対策のメールについて事情を確認するために学生生活課を訪問し,副課長らとの会話内容を秘密裏に録音するなどし,同年12月22日,被告森の研究室を訪れ,被告森との会話の内容を秘密裏に録音し,平成24年1月6日には,弁連ビラの撤去を求め,「佐賀大学学生課に対する要望書」を学生生活課に提出した上,同月12日,要望書に対する回答を求めて,学生生活課を訪問し,学務部長らとの会話の内容を秘密裏に録音し,同年2月2日,再度,弁連ビラの撤去を求めて,学生生活課を訪問し,副課長らとの会話を秘密裏に録音し,同月6日には,副学長に対し面会を要望し,学生生活課の対応について抗議するなど,前記CARPによる,大学のカルト対策に対する抗議活動や情報収集活動の促しに沿う行動を取っている。以主によれば,原告元学生が,学生生活課での会話や被告森との会話を,度重ねて秘密裏に録音した行為は,前記CARPが促進していた,大学のカルト対策に対する情報収集活動の一環とみるのが相当である。
ウ また,前記認定事実(14)(15)(19)によれば,原告元学生は,被告森において,統一協会の教義や合同結婚式を否定し,原告らが統一協会の教義を信仰することをやめるように説得することを十分予見した上で,平成24年2月10日に被告森の研究室を訪問したと推認するのが相当である。
エ そして,前記認定事実捌のとおり,原告元学生は,本件発言が行われた平成24年2月10日の被告森との会話を最初から秘密裏に録音していることからすれば,原告元学生は,被告森により宗教を理由にしたパワハラあるいはアカハラ的な発言がなされるなど,被告佐賀大学によるCARPや統一協会に対するカルト対策を攻撃するための材料を得ることを目的として,同日,被告森と面談し,本件発言を含む被告森の発言を録音したものと推認するのが相当である。
オ 以上アないしエの事情に鑑みると,本件発言によって被告元学生が被った精神的苦痛は,さほど大きいものとはいえない。
(3)さらに,統一協会やその信者が,霊感商法等の社会問題を起こし,多数の民事事件及び刑事事件で当事者となり,その違法性や責任が認定された判決が多数あることは公知の事実であること,被告森が特定の宗教の教義等について意見を述べることは信教の自由として許容されること,被告森は,被告佐賀大学の教員として,大学における教育及びこれに密接に関連する生活関係において,学生の生命,身体,精神,財産,信教の自由等の権利を守るべき安全配慮義務を負っていると解されることなどに鑑みると,被告森が,統一協会の教義等について,適切な表現を用いる限りにおいて批判的な意見を述べることは社会相当性を有する行為であり,また,前記のとおり,被告森は,本件発言の際,原告元学生の自由意思を尊重する発言もしていることが認められる。
(4)以上の諸事情を考慮すると,被告森の本件発言の社会相当性逸脱の程度を過大視することはできず,また,本件発言によって被告元学生が被った精神的苦痛は,さほど大きいものとはいえないのであるから,被告森の本件発言によって,原告元学生が被った精神的苦痛に対する慰謝料の額は,4万円と認めるのが相当である。
そして,本件における審理の内容,経緯,難易度,認容額その他本件に現れた一切の事情に照らせば,原告元学生の関係で,被告森の本件発言と相当因果関係のある弁護士費用の額は,4000円と認めるのが相当である。
5 争点(4)(本件発言の際,原告父及び原告母の権利又は法律上保護される利益を侵害することについて,被告森に,故意又は過失があったか。)について
前記争いのない事実等(4)及び認定事実(20)によれば,被告森は,原告元学生に対し,本件会話において,「だから言いたいんだよ,あなたの親・・・会いたいんだよ,あなたの親たちに。あなたたちはおかしい結婚をしたんだよって。」,「お父さんお母さんに,同じこと言うよ。あなたたちは,犬猫の暮らしだって言うよ,はっきり。」などと言っていることに加え,本件会話の終盤に「俺が言いたいことは言った。お父さん,お母さんにもし話すようなら,俺行く。」「こういうこと先生が言ってるよって,言ってみたら。」と発言しており,以上によれば,本件発言の際,原告父及び原告母の権利又は法律上保護される利益を侵害することについで,被告森に,未必的な故意があったものと認めるのが相当である。
6 争点(5)(被告森の本件発言は,原告父及び原告母の権利又は法律上保護される利益を侵害したか。また,仮に侵害が認められ,違法であるとした場合,違法性の程度はどのようなものか。)について
前記4で検討した事情に加え,被告森は原告父及び原告母に対して,直接発言をしておらず,原告元学生において,被告森との会話を無断で秘密裏に録音した音声を聞かせていることなどの事情を考慮すると,被告森の本件発言によって,原告父及び原告母が被った精神的苦痛に対する慰謝料の額は,各2万円と認めるのが相当である。また,本件における審理の内容,経緯,難易度認容額その他本件に現れた一切の事情に照らせば,原告父及び原告母の関係で,被告森の本件発言と相当因果関係のある弁護士費用の額は,各2000円と認めるのが相当である。
7 争点(6)(被告森の本件発言は,「事業の執行につき」なされたものか。)及び争点(7)(被告森の本件発言について,被告佐賀大学は,その事業の監督について相当の注意をしたか。)について
前記2のとおり,被告森の本件発言は「公権力の行使」に該当し,国家賠償法1条1項が適用され,民法715条は適用されないから,争点(6)及び争点(7)については,いずれも判断の前提を欠く。
8 結論
以上のとおり,原告元学生の請求は,被告佐賀大学に対して4万4000円及びこれに対する平成24年2月10日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める限度で,原告父及び原告母の各請求は,それぞれ被告佐賀大学に対して2万2000円及びとれに対する平成24年2月10日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからその限度で認容し,被告森に対する請求及び被告佐賀大学に対するその余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとする。
佐賀地方裁判所民事部
裁判長裁判官 波多江真史
裁判官 坂本寛
裁判官 稲垣雄大