在米の統一教会信者秀のブログ 95年8月~96年3月7つの鍵で施錠されたマンションの高層階で監禁下での脱会説得を経験。
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5月21日から10日間の予定で入居していた施設で介護疲れの妻が、夫である牧師の頭部をコンクリート製のブロック(レンガ)で殴った上、布のような物で首を絞めて窒息死させ殺してしまうという事件が北海道であった。
まずは故人の冥福をお祈りしたい。
この牧師どこの牧師さんかと検索したら
日本基督教団 知久町教会の牧師さんのようだ。
ホームページでは菅原正夫牧師の名前がある。
(ただし、最近はUPDATEされていない。)
日本基督教団 知久町教会
<2014年5月27日 朝日新聞>
71歳の妻を殺人容疑で逮捕 北海道・北広島の牧師殺害
北広島市新富町西2丁目の共同住宅「いきいきドミトリー 喜望の杜」で牧師菅原正夫さん(73)が殺害された事件で、道警は27日、菅原さんを殺害したとして、妻の麗子容疑者(71)=同市=を殺人容疑で逮捕した。
いきいきドミトリー 喜望の杜
麗子容疑者は事件が発覚した26日朝から行方が分からなくなっていたが、27日午前、札幌厚別署北広島駅前交番(同市北進町1丁目)に出頭。同署が事情を聴いていた。
同署の調べでは、菅原さんの死因は窒息死で、布のようなもので首を絞められた跡があった。後頭部には切り傷があり、室内に血のついたれんががあった。
菅原さんは21日、この共同住宅に麗子容疑者と入居。26日朝、布団の上で倒れているのを職員が見つけた。
<共同通信>
北海道、共同住宅で殺人か 北広島市、男性死亡
高齢で介護の必要な牧師に教会を任せてしまう。
施設に入居したあとも代わりの牧師は決まらず牧師不在だったという話もある。
事実であれば日本基督教団としての対応は適切と言えるのか。
ネット情報では、北海道に住む娘婿、加害者となった妻の兄も牧師らしいが、親族、教団はどのような対応、支援をしていたのであろうか?
韓国春川で夫を殺害してしまった統一教会員の事件については批判するが、日本基督教団関連で殺人がおこると知らぬ顔?
もし、統一教会や他の新宗教で同様の事件がおきたら”カルトの殺人事件”として書き立てるのではないのか?
いずれにせよ、あまり支援、助けもしなかったとしたなら、日本基督教団もお寒いんじゃないかなぁ。
みなさんはどう思いますか?
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世界日報記事から 引用
後藤徹さん(50)は今年1月28日、東京地裁709号法廷(相澤哲裁判長)で原告となった民事訴訟の勝訴判決を得た。平成20(2008)年2月まで12年余にわたり東京・荻窪などのマンションに監禁され、世界基督教統一神霊協会からの脱会、棄教を強要され続けてきた被害者。
監禁から解放された時、後藤さんは44歳になっていた。信教の自由を踏みにじる不法行為で被った損害賠償を求め、実兄夫婦、後ろで糸を引くなど不法行為に深く関わっていた職業的脱会屋や牧師らを提訴。3年にわたった裁判を戦い抜いた末の勝利である。
実兄らや加担した脱会屋の不当拘束を認め、賠償を命じた地裁判決の意義は大きい。加害家族に加え、家族を背後で動かす“黒幕”とされてきた脱会屋の不法行為を指弾し、賠償命令が下ったことは初めてだからだ。
裁判をフォローしてきた宗教ジャーナリストの室生忠氏は、判決に一定の評価をしたが「諸認定に際して『社会的相当性』など旧来の基準尺度に固執して、憲法で保障された『基本的人権』そのものの尺度採用に踏み出せなかった」ことを惜しんだ。
不当拘束をこれまで「保護説得」だと強弁してきた被告側は、この判決を「不当判決」として控訴。原告の後藤さん側も控訴した。
勝訴とはいえもう一方の“黒幕”である牧師の責任が認められなかったこと、賠償金が過少であることなどからだ。控訴審(東京高裁)は5日から始まる。
※次回、第2回口頭弁論は、8月21日(木)午前10時半から511号法廷で行われます。
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マザー・テレサといえば、生前からその活動が高く評価され、1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラ・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受け、1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれている(アメリカ名誉市民はわずか7人しかいない)。2003年10月19日、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって烈福された人物であり、一般的に、その評価は高く、無償の愛の体現者とされたり、聖人といわれることもある。
そんな彼女が聖人・聖女ではなく、「カルト信者」だったのだと云われたら信じられるだろうか。
<引用はじめ> 色字、下線、太字は管理人
去る3月2日*1、インドの日刊インターネット新聞「The Times of India」に、「Mother Teresa 'saint of the media', controversial study says」とのタイトルで、マザー・テレサのこれまでのイメージがメディアによって作られたものであるという研究結果が出たと、掲載された。
マザー・テレサといえば、貧困や病気にあえぐ弱い人たちの救済活動に生涯を捧げた、カトリック教会の修道女。修道会「神の愛の宣教者会」の創立者でもある彼女は、"無償の愛"の代名詞のように伝えられており、今なお、世界中の人々から崇め、慕われている。しかし、カナダの宗教学専門誌「Religieuses」最新号で大学の研究者が発表した論文によると、マザー・テレサの美談や名声は、カトリック教会の誇大宣伝のためにデッチあげられたものであり、聖人には程遠い人物だったというのだ。
■これまでのマザー・テレサ像
1910年、オスマン帝国領のコソボ州で生まれたマザー・テレサは、敬虔なカトリック信者の両親に育てられ、12歳のときに「修道女としてインドで働きたい」と決心。18歳で、ロレト修道女会に入り、インドのカルカッタに派遣され、上流階級の子女の教育に携わっていたが、「すべてを捨て、最も貧しい人の間で働くように」という神からの啓示を受け、カルカッタのスラム街に移住。宗教を問わず、貧しい人、病気の人など弱者のために働きたいとし、1950年に修道会「神の愛の宣教者会」を設立。ホスピスや児童養護施設を開設し、その無償の愛の活動は全世界に知られるようになり、世界中から援助が集まるようになった。1971年に、教皇・パウロ6世から勲章「ヨハネ23世教皇平和賞」を授章されたのを皮切りに、ノーベル平和賞など数多くの賞が贈られた。1997年に、87歳で亡くなった時には、インド政府が国葬を行い、死後5年目にはヨハネ・パウロ2世が「彼女は福者である」と宣言した。そして、なにかと問題の多いカトリック教会において、清く正しく、いつまでも輝き続ける聖人のような存在として、マザー・テレサは人々の記憶に残ることとなった。
■明らかになりつつある、マザー・テレサの素顔!
しかし、実像は異なるのではないか、と疑問を投げかける者が現れた。今回「Religieuses」に論文を寄稿したのは、モントリオール大学とオタワ大学の研究員たちである。
彼らは、マザー・テレサに関する文献資料、約300件を調査し、「マザー・テレサが世界中に開設した517もの『死を待つ人々の家』ホスピスは、衛生状態が悪く、医薬品も慢性的に足りず、満足な治療が施せなかったと報告されている。しかし、彼女の修道会『神の愛の宣教者会』は何百万ドルもの多額の寄付金を受けており、金銭的に困っているわけではなかった」という事実を突き止めたと発表。そして、「マザー・テレサは、患者の痛みを和らげることはせず、痛みに耐えることを賛美して癒やすという、怪しげなことをしていた。多くの病人が、彼女の元を訪れれば、医師が治療をしてくれると思っていたにもかかわらず、彼女は、イエス・キリストの受難のように、痛みに耐えることは尊いことだと繰り返し言うだけだった」「人気が低迷しつつあったバチカンは、劣悪な環境で痛みに苦しむ人たちに『あなたは素晴らしい人間なのよ』と優しく接している、マザー・テレサのことをまさに“生きる聖女”だと大げさに宣伝することで、カトリックのイメージアップを図ろうとした」と指摘した。
また、「バチカンは異例の早さで彼女を福者だと宣言したが、“痛みに耐えろ”という、怪しげな看護方法、問題点の多い政治家とのコネ(ハイチやアルバニアの独裁者を支持し多額の寄付金を得たという説がある)、多額の寄付金の管理に関する疑問点、そして、中絶、避妊、離婚に関して過度に批判していた点などは、一切、問題としなかった」とも綴っており、事実を知れば知るほど、マザー・テレサの神話はでたらめだということが明確になるとしている。
さらに、マザー・テレサの名が一気に世界に広まったのは、英BBCのマルコム・マガリッジ氏の力が大きいとも指摘。中絶反対派でカトリック右派のマザー・テレサに共鳴したマルコムは、1968年にロンドンで彼女と面会しており、翌年、そのミッションをたたえる映画を製作。「初めて写真に撮られた奇跡」として、コダック社もマザー・テレサを宣伝に使い、彼女の顔は世界中に知れ渡った。
奇跡といえば、バチカンは、「マザー・テレサは、ひどい腹痛に苦しむモニカ・ベスラという若いインド人女性の腹部に、宗教的なメダルを置き、祈ったことで治癒した」とし、マザー・テレサの奇跡として伝えている。しかし、医師は、「モニカが患っていた卵巣嚢腫と結核は、投与された薬により治癒したのだ」と証言しており、これを否定。それでも、バチカンは「奇跡だ」と主張し続け、多くの人々を騙しているという。
なお、マザー・テレサは晩年心臓病を患い、ペースメーカーを入れる手術などを受けていたが、自身は衛生的で設備が整った近代的なアメリカの病院で、痛みを和らげる麻酔薬を投与されながらの治療を受けていた。まさしく、聖人からは程遠い人間だったというのである。
マザー・テレサは聖人ではない、うさんくさい人間だという意見は、実は昔から出ていた。2年前に62歳の若さで食道がんでこの世を去った無神論者のジャーナリスト、クリストファー・ヒッチンズは、長年、マザー・テレサはとんでもない食わせ者だと主張し続け、それに関する本まで発行。「彼女が世界中から集めた寄付金を使えば、ベンガルにファーストクラスの病院を建てることだってたやすいことだった。しかし、彼女はそうせず、衛生状態の悪い、あまりにもひど施設に患者を収容し、ろくに治療を施さなかった。痛みを和らげるなど嘘だ。死ぬこと、痛みに耐えることを賛美する、まさしくカルトのような施設だったのだ」「信仰する宗教に関係なく看病したというが、それも嘘。朦朧とした患者に、痛みに耐えれば天国へ行けると、繰り返し言い、洗脳した」と厳しく批判している。
今回発表された論文だが、「聖人的なイメージを持つマザー・テレサの創られた神話が、貧困にあえぐ人々の救済を目指す人道活動家たちを励ますことになっているのは確かだ」「しかし、マザー・テレサに関するメディア報道は、もっと慎重に、事実に基づいたことを伝えるべきだ」という言葉で締めくくられている。
衝撃的な論文であるが、マザー・テレサの人気は不動のものだとされており、カトリック教会への打撃はさほどないだろうと、米メディアは見解を示している。今から10年前、2003年にローマ教皇庁はマザー・テレサの列福式を行ったが、世界中から25万人を超える人々が集まり祝福。実像がどうであれ、カトリックが全力を注ぎ創り上げたマザー・テレサの"聖人としての神話"は、揺らぐことのない、不動のものなのである。
<引用おわり>
はっきりと定義されていない「カルト」とか「マインドコントロール」と云う言葉は、マザー・テレサを簡単なる”狂信的カルト信者”にすることも可能だ。
ちなみに、監禁マンション内で母はこう言った。
「マザー・テレサの活動はすばらしいと思うけれど、身内から”マザー・テレサ”がでるのはごめんこうむる。」
あなたはどう思う?
*1 元記事は2013年3月2日にでたもの 「The Times of India」
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