在米の統一教会信者秀のブログ 95年8月~96年3月7つの鍵で施錠されたマンションの高層階で監禁下での脱会説得を経験。
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石橋正人さんの救出を求めます!
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進捗状況 署名人数3632 04/04/2015 0時33分AM米東部時間更新
今回は、3月23日に出た世界的人権団体「国境なき人権」のニュースレター。
「国境なき人権」の統一教会員に対する拉致監禁に関するレポートはアメリカの国務省の「信仰の自由に関する国際報告書」や国連人権委員会の「報告書」に影響を与えている。
読んでいただければわかるが「拉致監禁」典型的な事柄の生々しい描写が随所にあらわれる。
お約束の高層マンションでの監禁、行き先を聞いてもまともに答えない。等
HRWF (23.03.2015) - On 31st December 2014, Toshiaki Asano (32), a convert to the Unification Church, called his fiancée to tell her he was going to visit his parents for New Year. His parents had been opposed to his conversion ten years ago and to get married in March to a women from his church.
国境なき人権(2015年3月23日):2014年12月31日、統一教会へ入信したアサノ トシアキさん(32)は、新年に彼の実家を訪れるつもりだと彼の婚約者に電話した。彼の両親は、10年前彼が入信したこと、そして3月に教会の女性と結婚することに対し反対でした。
During the first few days of January, there was no communication despite emails from his fiancée. He was scheduled to meet her on 3rd January but he did not show up. A member of his church went to his parents’ home in Hatano City but no one seemed to be there.
1月の初めの数日の間、婚約者からE-mailをしたにもかかわらず、連絡がありませんでした。
彼は1月3日に彼女に会う予定でしたが、現れませんでした。
教会のメンバーが秦野市の彼の実家に行きましたが、そこには誰もいないようでした。
The fiancée and church staff consulted a person in charge at the Community Safety, Crime Prevention Section of the Hatano Police Station. When she reported, “I’m suddenly unable to reach my fiancé and I am worried,” the Hatano Police member called the Asano’s home, and left a phone message saying, “Please contact us as your fiancée is here to consult us.” The police then asked, “Why are the parents against the marriage?” and the church staff explained about the issue of the abduction and confinement of Unification Church members. The police said, “We will notify you when the parents call us,” and so they left the police station.
婚約者と教会スタッフは、秦野警察の生活安全課の防犯係の担当者に相談しました。「婚約者と突然連絡が取れなくなり、心配しています。」と彼女がレポートした時、秦野警察署員は、アサノさんの実家に電話し、「婚約者の方が相談にこちらに来ていますので、ご連絡下さい。」というメッセージを残しました。それから、その警察官は、「なぜ、ご両親は結婚に反対されているか?」と尋ねたところ、教会スタッフは統一教会員の拉致監禁問題について説明しました。その警察官は、「ご両親から連絡があれば、連絡します。」言いました。それで、彼らは警察署を後にしました。
However, nothing happened on the police side until Toshiaki Asano was released by his abductors…
しかしながら、アサノ トシアキさんが誘拐犯によって解放されるまで、警察サイドでは何もおきませんでした。
Abducted and confined
拉致監禁
In the evening of 1st January, Toshiaki Asano and his parents were having dinner at their home in Hatano City of Kanagawa Prefecture, when his two elder brothers and an uncle suddenly appeared. His family said, “We’d like to discuss about your faith at another place,” but Mr. Asano refused, saying, “We can talk about it here at home.” After repeated arguments continued for about an hour, family members forcibly brought him outside of the house and pushed him into an 8-seat van with the help of two men unknown to him. Toshiaki Asano continued to resist but in vain.
1月1日の夕刻、アサノ トシアキさんと彼の両親が神奈川県秦野市の実家で夕食をとっていた。
その時、2人の彼の兄と叔父が突然現れました。彼の家族は「他の場所であなたの信仰について話合いたい」と言いました。でも、アサノさんは、拒絶して「私達はここ自宅でそのことについて話せます。」と言いました。くり返し口論がおよそ1時間続いた後、家族は強制的に彼を家の外に連れ出し、そして見知らぬ2人の男の助けで8人乗りのバンに彼を押し込みました。
アサノ トシアキさんは抵抗し続けましたが無駄でした。
Toshiaki Asano was made to sit in the middle of the back seat while his father sat to his right and his mother to his left. The second son drove the vehicle. He asked where they were going, but no one told him.
アサノ トシアキさんは後部座席中央に座らせられ、右に彼の父親が座り、左に彼の母親が座わってきました。次男が車を運転しました。彼は「どこに行くのか」尋ねましたが、誰も答えませんでした。
Three vehicles including the van travelled together from his parents’ home. The other two cars stayed very close in front and behind the van. They took an express way and headed for Tokorozawa City of Saitama Prefecture. When they arrived at an apartment called Parkside Hills Tokorozawa, located close to the Kokuu Koen Station on the Seibu Shinjuku Line, Toshiaki Asano was taken by elevator to a room on the seventh floor, his place of confinement. As there were two men unknown to him in the apartment, Toshiaki Asano protested vehemently against his family, and told his family to send them away.
バンを含む3台の車が、彼の実家から一緒に移動しました。2台はバンの前後をぴったりと挟んでいました。彼らは高速を使い、埼玉県所沢市に向かった。彼らがパークサイドヒルズ所沢という西武新宿線航空公園駅に近いマンションに着いた時、アサノ トシアキさんはエレベーターで7階の部屋まで連れて行かれ、そこで監禁されました。見知らぬ2人の 男がアパートにいたので、アサノ トシアキさんは猛烈に彼の家族に抗議して、彼らに出て行ってもらうよう彼の家族に言いました。
パークサイドヒルズ所沢
西武新宿線航空公園駅徒歩7分らしい
間取りはこんな感じ(部屋のひとつ)
この間取りだとすると、玄関から入って
すぐの洋室2つとトイレの間に別途ドアを作り
内側から施錠するようにドアノブを逆に取り付け
れば自力脱出はほとんど不可能にできる。
他の間取りの部屋もあるが、監禁するならやはり
こちらの間取りだろう。この間取りなら浴室、
トイレからも逃げることができない監禁にとって
好条件物件だ。
His parents stayed with him all the time at the apartment. About a week after the confinement had begun, he asked if he could send a postcard to his fiancée so that she does not worry.” He was given permission but at the end of the day, he was not permitted to do it. From 4th to 6th March, Toshiaki Asano protested strongly against his confinement, banging on the walls and pillars, saying, “When shall I be able to leave?” There was then a family meeting, and as a result of the discussions, it was decided that he would be released.
Toshiaki Asano was freed on 7 th March.
彼の両親はそのマンションで常時彼と共にいました。監禁が始まって約1週間後、彼は彼女が心配しないように婚約者に葉書を送って良いかと尋ねました。彼は許可をもらったがその日の終わりには葉書を送ることは許可されなかった。3月4日から6日まで、アサノ トシアキは監禁に対して強く抗議して、壁と柱を激しく叩いて、「何時になったら出してもらえるのか!」と言った。
そして、家族会議があり話し合いの末、彼が解放されることに決まった。
アサノ トシアキさんは3月7日に解放されました。
<参考リンク>
A.T.さん拘束事件の真相とは?統一教会本部で緊急集会が開催
二か月以上、拘束状態におかれた青年教会員が解放!
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