在米の統一教会信者秀のブログ 95年8月~96年3月7つの鍵で施錠されたマンションの高層階で監禁下での脱会説得を経験。
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引用はじめ
東(桜田)淳子さんの講話
2015年2月11日(水) 松濤本部
私の名は桜田ではなく東です。桜田淳子の方が有名ですが。
私は、今日こ の松濤本部を訪れまして、涙が溢れてきて仕方がありません。長きにわたって、祈りの精誠が込められている場所でありますから。
私がお話させていただく前に、先輩の皆様のこれまでのご苦労に対して、尊敬と感謝を込めて、ありがとうございました、と申しあげたいと思います。
きょう、私は「自らが天国をつくる者」という題名でお話させていただきたいと思います。
まず、私は、文鮮明先生を再臨のメシアであり、真のご父母様であることを信じ、疑いない者です。
私たち夫婦は祝福を受けてから今年で二十三年目になります。当時、女優として歌手として歩んでおりましたから、祝福を受けることによって、哀れな桜田淳子というような立場に立ったことは事実でしょう。*1しかし、人生の幕を降ろされたのではなく、新しい人生を出発したのだと決意しました。
(マスコミなどから)否定されたものから、新しい出会い、原理のめざすものが何なのかを探す、再出発の時を迎えたのだと思いました。
1993年、夫と訪米した折、真のご父母様にお目にかかりました。
その時、父母様は私に「違う花を咲かせなさい」とおっしゃいました。その後、私は違う花を探す旅に出たのです。それは理想家庭を築くことに他なりません。
祝福を受けることにより、仕事はなくなりました。そんな私を世間は注視しているでしょう。そこで私は、誰から見てもうらやましく見える家庭を築きたいと思ったのです。妻として母としてどう生きるのか。決意と覚悟を持って出発しました。
1993年の映画
桜田淳子さんは助演女優賞を受賞
原理によると、サタン屈服していく過程で、条件が満ちれば奇跡が起こり勝利できるといわれています。100点満点をいただける日を信じてやってまいりました。
教会の内外でさまざまなことが起こると、わが家の玄関のチャイムが鳴りました。(マスコミの取材等)しかし、日常、ご近所の方々とのお付き合いの中で、分け隔てのない生活をしてきますと、近所の方々が私たちの家庭を守ってくださる*2、神様がいらっしゃることを実感してきました。
私は自身の生活の中で基本としていることは、夫に対し妻として従順であろうと思いました。「相手に何も求めない」「愛されたいという望みを置いて、愛することが喜びだ」という思い で生活してきました。*3
あるレポーターは東氏に会って「東氏は正直な人で、上司にしたい人だ」*2と評価していただきました。夫が向上していくのは妻の努めでありますから。しかし結果的に私が高められたのではないかと思います。
原理の教えによると、21年間は意味のある期間であるといいます。私もいろいろなことがありました。秋田に住む兄は教会に反対し、私たちの祝福にも大反対でした。したがって、私たちは実家に帰れませんでした。しかし、2年前、そんな兄から電話があって「助けてくれ」というのです。びっくりしました。母の痴呆症と兄嫁の病気で困り果てていたのです。お土産をたくさん持って帰省し、兄に敬礼したい気持ちで会ってみると、兄は 「感謝している」と向こうから頭を下げたのです。自然に氏族メシアの立場に立っていたのです。*4
私が芸能界デビューした際、お世話になったプロダクション「サンミュージック」の相沢会長との恨がなかなか解けなかったのです。同プロが40周年記念式典に花束を贈ったのに何の反応もありませんでした。私の恨は増幅しました。
2年前、相沢会長が死去しました。葬儀に参列するか迷った私ですが、夫と息子が「行かなければならない」と背中を押してくれました。マスコミが詰めかけている青山葬儀場での葬儀に行きますと、旧マネージャーは「誇りに思う」と言っていただき、会長夫人はじめさまざまな方から「歓迎」をうけました。恨の元凶の会長秘書に「ごめ んなさい」と自分から言葉がでた時、苦しみから解放されたと感じました。
弔問に訪れた桜田淳子さん
人生最大のテーマは人を許すということではないでしょうか。「人を許さねば、人から許されない」のです。
山口県光市で起こった母子殺人事件で、被害者の夫は、恨みを超えたいという気持ちで闘ってこられたのです。シスターの渡辺和子さんは、恨む心を断ち切らないと自由になれないとおっしゃっています。
渡辺和子さん
私は今、夫と三人の子供と一緒です。私は、家族を誇りに思っています。
私が心掛けていることは、夫とは喧嘩をしない。従順に従う。敬語を使う。ということなどです。これを実践すると子供たちも見習うのです。子供は母の言葉を聞いて育つのでしょう。
訓読 祈祷会を行っています。み言葉を拝読し、その後、歴史、社会などさまざまなことを学びあう時間にしています。
PTAの役員を引き受けたこともありました。先生と父兄の橋渡し役になろうと努めました。連絡帳は先生から宝物にしますとおっしゃってもらいました。
私がお産の時、ご近所の人から助けられて自宅でお産しました。さまざまな宗教を持つ人が手伝ってくださり、超宗教的お産というような形でした。
子供のいじめ問題を抱えた婦人から相談を受けたこともあります。かつて、私のある方への励ましの手紙が縁で、その方から紹介を受けたそうです。*2
高倉健さんをご存じでしょう。健さんは愛情深い方でした。父が他界した際、お線香をいただきました 。私が苦闘しながら、映画「お引越し」のロケ中、健さんはお守りをくださり「あの子は大丈夫からと言っておられましたよ」とお使いの方が健さんの気持ちを伝えてくれました。一流の方は違うのですね。森田健作さん、ジュディー・オングさん、遠藤周作さん、吉本隆明さん。挙げれば切がありません。そうした方々からかわいがられました。
み言葉を知っているのに愛のない人、み言葉を知らないのに愛ある人。愛の人格者になることが私たちの目標ではないでしょうか。さすれば、摂理は進むのではないですか。
室町時代の能楽者、世阿弥にこんな言葉があります。
「凡庸な者は形に囚われ、覇気ある者は形を壊す。才ある者は才に溺れる」
この言葉を世阿弥は息子に残したそうです。
これを原理に当てはめると「無私であれ」ということに他ならないのではないですか。
今、真のご父母様は孤独の中におられるのではないでしょうか。では私たちは、ご父母様に似て立派になることがお支えすることではないでしょうか。天国実現は自らがつくるものでしょう。真の反骨精神は自らが立派に生きることでしょう。
ご清聴ありがとうござました。
引用おしまい
*1 才能のある歌手であり、女優でもあった淳子さんが祝福(合同結婚式)を選び、それゆえ、それまで培った仕事を失う。傍目からは哀れかもしれません。
でも、現在の彼女が幸せかどうかその心の在り様は、他人が自分達の尺度では測れないのではないかと思います。
*2 けして好意あるものではなかったであろうマスコミからの取材攻勢、それを近所の人達が守ってくれる。そのマスコミのレポーターはご主人のことを褒める。子供の学校の先生は連絡帳を宝物にしますといい、いじめの問題を抱えた人から相談を受ける。
淳子さんがいや東家の人々が、周りの人達から信頼がなく、不快な存在であったならありえないことではないだろうか。
*3 従順・屈服というのが統一原理の中に出てくる。「カインはアベルに従順・屈服しなければならない。」というような感じだ。従順であり、屈服なのだけれど、あくまで”自然屈服”です。
「俺様にこのような位置、地位があるから屈服しろ」ということじゃない(でも、そんな馬鹿は多いけど)。信頼あっての話、、、東家のご夫婦は良好な関係のようです。
違う花が咲いたなら、歌手、女優とは違っても幸せなこと。
*4 これなんか、エソウとヤコブのお話そのものですねぇ。(反対しているご家族も聖書読んでみて下さいね。)
「天国実現は自らがつくるものでしょう。」「真の反骨精神は自らが立派に生きることでしょう。」そのとおりだと思います。
「教会(組織)が悪い。」あの教会長、責任者が悪い。」
「教会は愛がなく、あの人はみ言葉を知っていても愛がない。」
まぁたしかにその通りかもしれません。
でも、その前に自分はどうなのかと、、、。
で、おまえはどうなの?と突っ込まれそうですが、、、
「我、いまだ木鶏足りえず、、道まだ遠し」です。(ポリポリ)
<追記>25日 午後7時30分 米東部時間
同じく、”淳子さんの講和”を紹介しているブログがあったので紹介。
こちらのブログ主は韓国在住の元食口。最近統一教会やめたそうです。
コメント欄も含め、読み比べてみて下さい。
ブログ 渡る世間は鬼ばかり
統一教会村や統一教会批判告発村には見当たらなかったからこのブログ知らなかったのだけど、ブログ記事のタイトルが一緒でした。
ブログ主さんは、主婦らしいのですが性別が”女の中の男”だそうで、、、。
そうそう、記事を書かれたのは19日なので私より早いです。
あっ!でも、私がこのブログ知ったの今日なので、けして記事タイトル真似したワケではないです。(汗)
とまれ、いろいろ考えていただくのが良いと思うで合わせて読んでみて下さい。
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COMMENT
純真純粋信者の桜田淳子さんが可哀想。
真の家庭から矛盾問題山積み朝鮮宗教。
朝鮮人幹部達の詐欺出鱈目派閥抗争億万歳の統一教会!
古田元男初め、詐欺横暴在日朝鮮人日本統一教会幹部達!
日本韓国統一教会幹部達は全員!晒し首だ!
歳月を感じさせますねえ。
とりわけ、
>私もいろいろなことがありました。秋田に住む兄は教会に反対し、私たちの祝福にも大反対でした。したがって、私たちは実家に帰れませんでした。しかし、2年前、そんな兄から電話があって「助けてくれ」というのです。びっくりしました。母の痴呆症と兄嫁の病気で困り果てていたのです。お土産をたくさん持って帰省し、兄に敬礼したい気持ちで会ってみると、兄は 「感謝している」と向こうから頭を下げたのです。
歳月を感じさせますねえ。
秋田の「反対父母の会」の中心メンバーだった本間さんと一緒になって動いていたのは桜田さんの父親だったと記憶しています。
お父さんも亡くなられたのでしょうね。
本間さんも亡くなった。
川崎経子さんも亡くなった。
なんだかしんみりとしてきます。
有難うございます
たまたま開いたのですが、とても素敵な証をありがとうございます。正直、彼女が有名人なので、私の中の感動も大きくなってしまう面も無きにしも非ずですが、ここに証されていることは私たちの基本的姿勢として、最も大事にして実践するべき事だと思います。ただ単に外的な行動としてだけでなく、内的な姿勢としてもです。
そう、最終的に天国を作るのは私自身、私と神様との関係、私と”あなた”との関係なんですから。私にはまだまだ遠い理想ですけど。
ありがとうございますー
美人の人に言われるとー反対派が心配するようにーメッチャ力が出ましたヨー
最近も長く信仰してきた仲間が3人も離れたりしましたのでー
偉そうな独り言
なぜかなと思ったら、淳子さん自身が立派に生きた証をたてていることを自然と知っているからでしょうね。この世での実績がものを言っているのは間違いない。
実体が伴っている人の言葉には力があるんでしょうね。行動からくる結果を出した人だから言葉に説得力があるんです。
ただ自分自身は立派になんか生きる必要はないと思ってる。立派に生きられなくても卑屈になることはないと。最低限の誠実ささえあればって・・・
入教して以来、なんかみ言葉に沿って模範解答をしなければいけないと、強迫観念のようにして無意識に思ってきたけど、他人様の教えの有難き受け売りはもうたくさんって感じです。
拙くても自分の言葉を探していきたい。だからってみ言葉をないがしろにしていいって思ってるわけじゃないですが。
それに今いる自分の場所を否定しているわけじゃない。その場所は自分にとってかけがえのない居場所であることを知っているから。
つまるところ、み言葉は従うもんじゃない。従えるもんだってことでしょうね。