在米の統一教会信者秀のブログ 95年8月~96年3月7つの鍵で施錠されたマンションの高層階で監禁下での脱会説得を経験。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
Volcano Eruption Claims Unificationist Teenager, Three Still Missing
Four Unificationists from the Toyota Family Church in Japan were among those who went missing when the Ontake volcano erupted in Nagano prefecture, Japan on September 27, 2014. Out of respect for the families’ wishes, we will not be publishing the names of the individuals who are missing or of those Unificationists who went hiking that day.
The Toyota Family Church is located in Aichi Prefecture. Their Youth Ministry team organized a day of hiking up the Ontake mountains for 11 families, 17 people in total with ages ranging from 11-60 years old. Their hike began on a sunny morning with one group going up earlier than the rest. What was meant to be a day filled with sightseeing and fun ended up so tragic.
In this group was a 59-year-old Unificationist. He later shared with Japanese National Church Headquarters that as four of them ate lunch, the volcano suddenly erupted. The shrine they sat to eat in protected him from the blast but as the air cleared, he realized quickly that his three companions were missing.
A 29-year-old Unificationist shared that he was urging his 50-year-old companion to start heading back down the mountain when the volcano erupted. He survived but his 50-year-old friend is still missing.
According to Japanese National Church Headquarters for the Family Federation for World Peace and Unification (FFWPU), the body of one of the 18-year-old girls in the group was found on September 30, 2014.
Out of respect for the family’s wishes, we will not be publishing her name. Please pray for her during her transition to the spirit world and for her family during this difficult time. The other three individuals are still missing.
Everyone who went hiking has expressed that they are so sorry for the tragic end of what was meant to be a beautiful family outing.
We will post more information as we receive it. In the meantime, we ask for the continued prayer and support of the international Unification community for all of the hikers, that they may be returned safely, and for the families of the victims and of those still missing.
火山爆発で統一教会員のティーンエイジャー死亡・3名いまだ行方不明
日本の豊田教会の4名の統一教会員が、2014年9月27日の長野県御嶽山火山噴火により行方不明者となった人々の中にいました。
家族の希望に配慮して、行方不明者およびその日登山にいった教会員の個人名を公にできません。
豊田教会は愛知県にあります。彼らのユース・ミニストリー・チーム(壮年部)が11才~60才まで17人、11家庭での御嶽山1日登山を企画しました。
彼らの登山は、1つのグループが後続よりも前に先行して、晴れ渡った朝にはじまりました。
でも、観光や楽しさで満たされるはずだった1日は、とても悲劇的に終わりました。
グループにいた59才の統一教会員は、「彼らのうち4人が昼食をとっていた時、突然火山が爆発した。彼らが昼食を食べるため 座った神社が彼を爆発から守りました。しかし、視界が回復すると、3名の仲間が行方不明であることがすぐにわかった。」と後に日本統一教会本部に語りました。
29才の統一教会員は、「火山が爆発した時、50才の仲間に下山をはじめるように強く促した。彼は生き残ったが、50才の仲間はいまだ行方不明です。」と語った。
世界平和統一家庭連合(FFWPU)の日本教会本部によると、グループの18才の少女の遺体が2014年9月30日に発見された。
家族の希望に配慮して、彼女の名前は公にできません。
どうか霊界への彼女の旅たちと困難な時にある彼女の家族のために祈ってください。
他の3名は未だ行方不明です。
登山に行った誰もが、すばらしい家族の行楽はずが悲劇で終わったことを非常に残念がった。
詳しい情報があればお知らせします。
すべての登山者の無事の帰還ため、犠牲者、行方不明者の家族のため、世界の統一コミュニティーの祈祷継続とサポートをお願いします。
<日本語訳は参考まで>
アメリカ統一教会の記事は、日本統一教会からの情報をもとに書かれたもの。(推量と言うより断定しても良いくらいかと)
ゆえに、日本の公文と重複するところも多いし、表現が同じといってよい部分も多い。
個人情報を出さず、ご家族に配慮しつつ情報発信することはできると思うのだが?
個人情報を出している不届き者もいる。そうしない、させないためにも情報発信は必要ではないか。
にほんブログ村アイコンのクリックもお願いします。ペコリ
COMMENT
【不思議な言葉の「一致、暗示」?】
御嶽の「御」は貴いものに冠する頭文字。
そして貴いものの極みは「神」。
つまり「御嶽=神の山、獄」。
以下、2014年9月の神山氏の日本での3度の講演の前後の時系列を。
↓
---------------------
◆9月20日 土井たか子(多賀子)氏逝去…土井氏は神戸出身
---------------------
◆9月21日 神山氏東京講演
◆9月23日 神山氏名古屋講演
◆9月26日 神山氏久留米講演
---------------------
◆9月27日 御嶽山噴火
---------------------
(以上です。)
先日【不思議な言葉の「一致、暗示」?】のタイトルで投稿させていただいた者でございます。
こんにちは、初めまして!
先日は挨拶も前置きも何もないままに【怪文書】とも受け取りかねないような拙文を一方的に投稿し、改めてその非礼をお詫び申し上げます。誠に失礼いたしました。
さて、こちらの秀さまのブログへ投稿させていただいた内容と同様のコメントを、先日は複数のブログへ投稿させていただいてもおります。
さらには、投稿内容が神山先生寄りとも教会寄りともどちらとも受け取れるような、支持する側をはっきりさせていないようなものでもありました。
加えて、このたびの御嶽山噴火での多くの犠牲者の方々の中に年若き食口の方もあられたということ。
これらさまざまな材料も合わさって、【怪文書】とも受け取られておられる向きも一部にはあるようですが、私には何らの不義なる思いも、これといって意図するものも毛頭ございません。
ただ、御嶽の「御」は貴いものに冠する頭文字であり、貴いものの極みは「神」、つまり「御嶽=神の山、獄」といったふいに分解できるというか、分析、解釈できるということと、このたびの神山先生の講演との時系列に非偶然性のようなものを感じたことは事実です。
「神山先生側VS教会側」といった捉え方で申すならば、私自身はどちらでもないと申し上げるしかないのです。
一人の足らぬ人間がああだこうだと手前の考え、感覚、立場でのうのうと物を申し、事の黒白について偉そうにナタをふるっている場合ではないという意味においてもです。
ただ、神山先生は文先生と「獄」にまで行かれた方。
「神の山、獄」とは、「神山といい、獄をも経験した人」とも取れ、この解釈が仮に正しいとして、それでは「神山先生側と教会側」のどちらが正しいと暗示し象徴しているかの判断、断定を私が致すつもりはございません。
最後にもう一言付け加えさせていただきますならば、自らの勝手な思い等を傲慢にもまじえてお披露目するかのようなこういった解釈、分析といったこと自体、本来私自身は好みません。
しかしながら、あまりのタイミングと言葉の「一致、暗示」にあって、背中を押されるような感覚がございました。
なお、本日こうして投稿させていただくこのメッセージの内容に関しては、こちらの秀さまのブログへの投稿が初めとなり、現時点で他所への投稿はまだ行なってはおりません。
以上、長々と身勝手な投稿、失礼いたしました。
敬具
bsg
怪文書
ご自身で言われている通り、お前さんの投稿文は根拠のなき、こじつけ怪文書。