在米の統一教会信者秀のブログ 95年8月~96年3月7つの鍵で施錠されたマンションの高層階で監禁下での脱会説得を経験。
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「拉致監禁・強制改宗」によって、PTSDを発症するケースがある。
米本和広氏によってルポタージュされた宿谷麻子さんのケースがよく知られるケースであるが、宿谷さん以外でも、高須美佐さん、中島裕美さんや美津子・アントールさんらも発症している。いずれのケースも統一教会とは関連のない医師等により診断が下されている。
このPTSDの厄介なところは、何時発症するかわからない点、またどの程度の「拉致監禁・強制改宗」で発症に至るのか、どの程度の症状になるかが不明な点である。
そして、私の知る限りでは、後藤徹さんはPTSDを発症していないはずだったのだが、、、。
室生忠の宗教ジャーナルからの引用
<引用はじめ>
室生 6月5日から東京高裁で控訴審が始まっていますが、とりあえず、1月28日の東京地裁の民事勝訴おめでとうございました。
後藤 ありがとうございます。
室生 そもそも東京地裁に民事提訴する以前、東京地検に加害者(兄妹、〃脱会屋〃宮村峻、牧師・松永堡智ら)を「嫌疑不十分」で不起訴、さらに東京検察審査会には「不起訴相当」決議をされてしまいました。どんな気持ちでしたか。
後藤 正直、一カ月間は呆然自失でしたね。31歳~44歳という人生で最も大切な期間を12年間の監禁で奪われた事実を、正当に裁いてくれる司法が日本には存在しない。その理不尽さを実感したとき、ズドーンと気落ちしました。
室生 絶望から立ち直って、民事訴訟を起こされたきっかけは?
後藤 周囲の励ましはもちろんですが、いろいろ調べてみたところ、刑事と民事では違うということが分かったことですね。刑事で不起訴になっても、民事で勝訴する事例が多々ある。これは何とか行けるかも知れない、と思いました。
室生 そして…?
後藤 ええ、次第に、最後には真実は必ず勝つ。そういう思いがフツフツと湧いてきました。それを自分にいい聞かせることによって自信を取りもどして、提訴を決心したわけです。その確信は裁判中、どんな局面でも少しも揺るぎませんでした。
室生 警視庁荻窪署の送検の後、東京地検の検事に4、5回会われましたね。どんな印象でしたか。
後藤 こちらは被害者ですから、もっと丁寧に聞いてくれるかと思ったら、最初から妙にツッケンドンなのです。そして、自分の持って行きたい所があって、そこに私の話を何とかして持っていこうとする、そういう強引さを感じました。
室生 検事はどんなことにこだわって話を聞いたのですか。
後藤 私が家族を伝道しようと考えなかったのか、という点です。
室生 ああ、裁判でも争点になった「氏族メシア」の意思ですね。東京地裁判決は「被告隆らの上記主張(注・後藤さんが統一教会の教義に従い、家族を救済する目的で居座り続けたこと)は採用することができない」と明確に一蹴しました。で、検事には何と答えましたか。
後藤 あんな監禁状態で伝道も何もないでしょう、と。しつこく聞かれるので、当時は、とてもそんなことは不可能だと思っていましたが、宗教家として、いつかは理解してほしいという気持ちはあった、と答えました。
室生 検事の目にも12年間の〃監禁〃は異常に映った。しかし、〃監禁〃を認めたくなくて、何とかして後藤さんの意思のせいにしたかったのです。日本の検察は、警察の送検調書を読んだ段階で自分の〃見立て〃つまり絵を描いて、その絵に当てはまる供述を取るんです。
室生 そうすると、東京地裁に提訴の当初から勝訴判決を疑わなかった?
後藤 あれだけの確かな証拠を数多く出したので負けることはないと…。とは言ってもですね(笑)、こればかりは、もう、裁判所にゆだねるしかありませんから。
それに多くの支援者の方々、私と同じ深刻な拉致監禁被害を受けられた方々のこと、今後の被害発生の可能性などを考えると、これは絶対に負けられないぞという、強いプレッシャーはありましたね。ハンパなプレッシャーではないです。
室生 後藤さんは既に〃拉致監禁〃根絶運動のシンボルになっていましたからね。運動のエネルギーを左右する判決でもありました。
後藤 まあ、一応勝訴ではありますが、判決内容に納得できない点も多々ありましたので、控訴しました。結審するまで、勝訴を勝ち取るための戦いとプレッシャーは続くと思います。
室生 東京地裁の後藤さん勝訴の判決は評価されます。しかし、私の目から見ても、たしかに批判されるべき認定が多い。後藤さんが控訴された理由を、端的に言うと?
後藤 まず、被告の一人である松永牧師が免責されたこと。次に、私の12年5カ月間の監禁の一部分を切り取って、兄妹や宮村の責任を認めた分離認定。また、賠償額が極端に低いことなどです。それから、私に対する食事制裁による虐待が認められなかったこともそうです。 裁判のなかで妹は、当時私が食べていた食事の見本だという写真を出してきました。驚きましたよ。いったい、いつ、こんな山盛りの豪勢な食事を出してくれたのか。あんな食事を出されたら、どれほど嬉しかったことかと、怒りがフツフツと募りました。
10センチの小皿で出された原告主張のおかず
被告側主張の大盛りのおかず
そこで、私は、その写真に写っている食器のメーカーから大きさまで特定したんですよ。あの写真の皿は直径19センチもあるのです。何という嘘!毎日私の前に出された皿は10センチ程の小皿で、その上に漬け物などがチョコンと乗っていただけなのに!なんとかして裁判に負けまいとする臆面もない虚偽、嘘、ここまでやられると、もう…! 控訴審に入って彼らの出してくる書面を読む度に、ここまで嘘を重ねるのかと、ますます怒りが湧く一方です。
日本の検察が、警察の送検調書を読んだ段階で自分の〃見立て〃絵を描いて、その絵に当てはまる供述を取るというのは、昨今の朝日新聞の問題を想起する。
"見立て"を描いて都合の良い情報をつまみ食いして、検証なきまま記事を書いた。
誤報記事ではなく、捏造記事ではないかと感じるほどである。
警察、検察がやると"冤罪"を生んだり、逆に裁くべき者を見逃すことになる。
食事の件は、十分な栄養ある食事が出されていれば後藤さんがこのような姿になることはなかったはずだ。
後ででてくるが、後藤さんの奥さんが直視できないというのもうなずける。
PTSDの可能性も
室生 後藤さんには辛いことが多々あると思いますが、完全勝訴までぜひ頑張ってください。 ところで話は変わりますが、長過ぎる〃監禁〃から解放されて既に6年余り。その間、2008年には国際合同結婚式を挙げられて、長女さんも誕生されました。家庭生活は順調ですか。
後藤 …そうですねえ…(黙考しつつ言葉を探しながら)…それが…、妻との会話中に、普通のコミュニケーションが取れなくなってしまうことがあるんです。そのために妻を困惑させることが時々あって、私自身も困っています。
室生 それは困りましたね。
後藤 当初は、原因がよく分からなかったのですが…、やはり長い監禁生活の後遺症があるようです。
室生 具体的には?
後藤 …そうですねえ…まあ…なんと言えばいいか…、何か聞かれて、ストレートにスパッと答えることができないようなのです。婉曲というか…複雑というか…、何か頼むときも一言ですむところを二段三段と回り回って、結局、あなたは何が言いたいの? と…。何でそんなに面倒くさい言い方をするのよ、と。監禁される前には全くなかった現象です。
室生 それは些細な日常的な会話でもですか?
後藤 そうなんです。何かものを頼むときや、ちょっとした日常的会話でストレートに話をできなくて。〃この人、何で普通に話せないの。大丈夫かしら〃と妻を心配させてしまうほどで…。困ったことです(苦笑)
室生 で、それは長期〃監禁〃の後遺症だと?
後藤 ええ、自分はなぜこうなんだろうと考えたとき、やはり…。
12年間、私の周囲にいたのは、宮村や兄妹をはじめ、一日も早く脱会して欲しいと強烈に思っている人たちで、対話の中で私の言葉をとらえて否定した上で信仰を棄てさせようとする人間ばかりだったわけです。その間の苦しみは、表現できないほどでしたから…。
その結果、相手が自分の言葉をどう受け止めるのか、どう思うのかに過剰なまでに気を遣い、伝えるべきことをストレートに表現できない精神構造が(私の)身についてしまったのではないか…。それが、最も身近な妻との会話に特に出てしまっているという感じなのです。 室生 なるほど…。それはいつ頃からですか。
後藤 後遺症だと気づくようになったのは、1年前くらいからです。
室生 そのような現象は結婚当初からですか。
後藤 自分では気づかなかっただけで、最初からそうだったんだと思います。妻も変だと思いつつ妊娠、出産、子育てでそれどころではなかったようです。それが結婚して約5年、子育ても落ち着いてきて、やはりこれは変だぞと…。
室生 成熟した家庭生活のなかで、夫に最も近い存在である妻が、愛する夫とのストレートなコミュニケーションを切望している。それが分かっていながら、応えられないというのは辛いことですね。
後藤 ええ…。監禁前はこんなことは無かったのですが…。
室生 監禁生活や信仰について奥さんと話すことはありますか。
後藤 信仰について話すことはあります。しかし、監禁については、最初に会ったときに全てを話してからは、その後殆ど触れませんし、妻も特に聞きません。
ただ、裁判の書面作成を手伝ってもらったりしているので、私の体験については、かなり詳しく知っていると思います。妻は、私の解放直後の(痩せ細った)あの写真は、未だ直視できません。
室生 そうでしょうね…。過酷すぎる体験そのものの映像ですからね。その他、PTSDにつながるトラウマを感じることはありますか。
後藤 何かの機会に、複数人のドタドタという足音が迫ってくるように聞こえるときですね。憂鬱な何ともいえないイヤ~な気分に襲われます。松永牧師や宮村はよく5~6人の元信者を従えて監禁部屋にやってきては、棄教を強要するわけです。
監禁中に玄関から、複数の足音が近づいてくると「また、あの精神的リンチのような詰問が始まる」と。それが、毎日毎日繰り返されるわけです。物凄い不快感というか、絶望感というか…。〃ああ、また今日もアレが始まるんだな〃と…。
室生 今でもですか?
後藤 今でもです。それから、用事があって新宿から中央線に乗って監禁されていた荻窪に近づくだけで未だにイヤ~な気分に襲われます。
拉致された実家のある保谷駅を通る西武池袋線も同じです。あの電車に乗ると、それはもう、イヤ~な気分に襲われます。両親は亡くなって保谷にはもういませんが、兄夫婦や妹は住んでいます。 彼らに会う可能性が少しでもある場所、エリアに入るとそれだけで緊張してしまうのです。
室生 PTSDは思い出すだけでフラッシュバックを起こす可能性があります。そのため、カウンセラーにも相談できない被害者が多い。話すということは、当時を思い出すということですからね。 ところが、後藤さんは「全国拉致監禁・強制改宗被害者の会」代表として、日本国内はおろか韓国、米国の教会関係者、さらにはジュネーブの国連人権理事会関連機関、国際的な宗教研究会議「CESNUR(新宗教研究センター)」や「ICSA(国際カルト研究会)」の年次総会にまで多数出席して、強制棄教の悲惨さを訴える講演を続けて こられました。 その回数は述べ30~40回に及ぶでしょう。多くの人々の前で当時の状況を話すとき、どんな気持ちでしたか。
後藤 …(沈黙)やはり、ひどく緊張しましたし、辛くもありました。話すときには嫌でも当時の状況を思いだします。なにしろ辛い体験だけですから…。ですから、最初の頃はどうしても涙ながらの話になってしまいました。
室生 本当は話したくなかった?
後藤 ええ…、でも、話たくなくても、話さなければならない。(自分の体験を公にすることで、拉致監禁を根絶するという)使命感でやっていました。
室生 現在も基本的には同じ状態だと思いますが、しかし、時間とともに、最初にあったプレッシャーや不快感は変化しましたか。
後藤 ええ、それは変化しました。変化したと思います。次第に薄らいできたと思います。 室生 そうですか…。さっきも話したように、自己体験を話すことはPTSDの再発、悪化につながる可能性があります。しかし、後藤さんのケースでは、話すことでPTSDを乗り越えた部分がある、と理解してもかまいませんか。
後藤 それは、多分あったと思います。
室生 後藤さんには〃監禁根絶のシンボル〃という自覚があり、話したのも教会や国際的な舞台でした。その点、PTSD被害者一般と同列にはできませんが、後藤さんの経験からいっても、一定の条件下で、あえて自分の辛い体験を話すことでPTSDを克服する回路もあるように思うのですが…。
後藤 そうですね。それは確かにあると思います。その際、私が強く感じたのは、単に話すだけでなく、信者や外部の宗教研究家たちにありのままを話して、私の体験や苦しみを理解してもらえた、共感され、慰められ、励まされた。そのことによって苦しみが緩和された。それが大切だったと思います。
室生 なるほど…。共感によってPTSDは改善される…。
ところで、私にはどうしても分からないことがあります。後藤さんの兄妹らはなぜ、12年間もの〃監禁〃を後藤さんに強いたのか。東京地検の検事は、その要因を後藤さんの「氏族メシア」の意思に誤導しましたが、目のつけ所は〃さすが〃だと思います。
後藤 たしかに家族だけで12年間も監禁を続けるのは難しかったでしょうね。その背後に宮村、松永牧師らの脱会屋、さらに宮村らに組織された元信者層がいて、兄らを指導・支援し続けた結果であることは間違いありません。
PTSDの症状の1つとしては、宿谷麻子さんのアトピー症状がある。
あくまで、症状の1つで、フラッシュ・バック、過覚醒、不眠、悪夢等多岐にわたる。
前述の宿谷さん以外の3人も苦しんだ。いや、今尚苦しんでいるといった方が正解だろう。
自分以外は、脱会させることにしか意識のない人間に逃げ場なく囲まれての長期の生活のストレスは想像を絶する。
後藤さんの場合、刷り込まれた人間不信のような感じも受ける。
拉致監禁される前にはなかった症状の原因特定には、専門医等による診察、治療も必要であろう。
専門家の助けもそうであるが、PTSD症状の改善には辛い体験を話すことも有効な方法の1つである。その点、室生氏の指摘は正しい。ただし、絶対守るべき点がある。聞き手は絶対本人の体験対し否定しないことだ。共感してもらえることで癒されるという面がある。
脱会屋なく監禁なし
室生 後藤さんの〃監禁〃が、〃脱会屋〃の存在なしには成立しなかったのは大前提で、それは間違いありません。宮村の影響力はそれほど凄いのですか?
後藤 凄いですね。私の体験上もそうですが、宮村を近くで見てきてその実態を知る複数の人たちが「宮村氏はとにもかくにも支配的な人です」とか「宮村教の教祖」とか証言しています。その宮村に支配された兄らは、監禁を続けるしかなかったのです。
室生 なるほど…。それにしても、親の遺産のすべてを失い、自分の大切な歳月を費やし、楽しかるべき現実生活を放棄してまで、12年間もジリジリと持続した生命と時間と財産の浪費です。重要なことは、被害者の後藤さんもまた、12年間という異常な〃監禁〃を耐えぬいたということです。そこで検事のような誤った〃見立て〃も出てくるわけですが、かといって〃信仰が支えた〃と簡単に言って済ますわけにもいかない。
後藤 と言いますと?
室生 私はこう考えるのです。これは基本的に、統一教会信仰に生きる後藤さんと、宮村に支配された被告ら元統一教会信者の〃アイデンテティ〃を賭けた死闘だったのだと。後藤さんは〃監禁〃されながら、統一教会信仰を守り通すことでアイデンテティを確立し続けている。一方、兄妹らは、統一教会信仰の強制的喪失で剥奪されたアイデンテティを、後藤さんを棄教させることで再確立ようとしている。その互いに一歩も退くに退けない、自己存在を賭けた緊張状態のなかで12年間の空費が可能になったのではないか。そんなふうに思えるのです。 後藤 なるほど…。確かにそういう側面はあると思います。亡くなった母親を含めて、私の統一教会信仰を認めれば、自分たちの人生が崩壊するという恐怖感ですよね。ここで退いたら文鮮明をメシアだと自ら認めることになる。自分の存在意義を自ら放棄するようなものだという…。
室生 あの〃監禁〃は、自己存在の意義という形而上の世界と、食器の数センチの大きさの違い、つまり肉体的生存にかかわるとてつもない形而下の世界が交錯した激戦場だったのかも知れません。
後藤 それに兄、兄嫁、妹は宮村らに強制棄教させられた後、プロテスタントのクリスチャンに改宗しています。新しいアイデンテティを獲得したともいえますが、私に統一教会信仰を棄てさせないかぎり、真の〃新しいアイデンテティ〃にはなり得なかったでしょう。
室生 そうすると、ご兄妹との和解の方向性はまだ見えませんか。
後藤 そうですね。将来どうなるにせよ、私への監禁行為を法廷でキチンと決着、清算させてからの話ですね。まずキチンとした決着だと思います。
室生 当然の選択ですね。ご多忙のところ、まことにありがとうございました。
注 本稿は月刊誌『財界にっぽん』(2014年8月号)に掲載した『後藤徹氏、12年余の脱会強要の全責任を激白!!』に若干の補足を付したものである。
<引用おしまい>
室生氏の言う「”アイデンテティ”を賭けた死闘」という観点は斬新で、かつ妙にハラオチする。
自分自身のことを振り返った場合、「拉致監禁」されたことによって急速に信仰が確立していったような感覚がある。統一教会の信仰を守ることでアイデンテティを確立し続けるということを言い換えると、統一教会員として信仰を確立させることに通じるのではないかと考える。
拉致監禁を体験したものとして、食口として後藤さんの”状態”は気になる。
食口とは同じ釜の飯を食べる口”家族”だから。
法廷での決着、清算までもう少し。最後まで応援したい。
大陸会長X姫君X元会長 に金北米大陸会長の日曜説教日本語版を追加しました。
あわせて、見てください。
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COMMENT
信仰による光と影
監禁派の人たちは、違法行為も基本的人権も省みない狂信者のような人たちのような気がします。
母体から産み落とされた申し子
これこそ統一の教義でいうところの”ために生きるべし”という人間の生き方の本道というものです。
それを十分承知の上であえて言わせていただけるならば、後藤さんを始め多くの信者の犠牲者、被害者を生んだこの問題の根本的な背景とは何だったのかを振り返って考えないわけにはいきません。
結局、あのような拉致監禁推進モンスタークレイマーを生んでしまったのは、ほかでもない我が物顔でカルトの道を突き進んでいった不遜極まりない統一教会の世間に対する向き合い方だったのではないかということです。
(命令の出所は当然韓国発ではありますが、彼らには火の粉は一切かからない安全な立場ですから涼しい顔をしていられるわけです。結局板挟みになって信仰をたてざるを得ない日本人中間管理職と平信徒の苦悩が偲ばれます)
哀しいかな母体はまさにそこからであった・・ということ。
これはひとりひとりの統一信徒が認識していかなければいけないことだと思います。そして今後どうするのがいいのかを自分の良心基準に正直に従って決断していくべき問題だと思います。
しかしながら、だからといって強制的な手段での改宗作業が許されるわけでは絶対ないです。
たとえ身内であったとしても相手の自由意思を踏みにじり、人間の尊厳を完全否定する行為は、人間のすることのなかでも最低な行いであり、恥べきことであると、それに関わった方たちは自覚すべきなのです。
この醜い争いの行く末に勝者などいない。みんなボロボロになってしまい残されるのは敗者のみ・・・
信者の端くれと自覚する自分としても身につまされる話です。