在米の統一教会信者秀のブログ 95年8月~96年3月7つの鍵で施錠されたマンションの高層階で監禁下での脱会説得を経験。
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今回は、大学に入ってから、統一教会に出会い、修練会に参加したりしつつ、卒業して就職することを決めるところまで。
当時、伝道はビデオセンター真っ盛りの時代だから、現在だと正体隠しの伝道ということになる。
ただし、違法となったのは2002年以降と承知しているので、遡及的に違法扱いするのには与しない。
大学での生活と統一教会との出会い。
大学では1年生の時は要領が得ず、成績もあまり芳しくなかった。
しかし、次の年からはうまくやれ、3年終了時には卒業に必要な単位はほとんど取得していました。また、母の会社はバブル景気の後押しもあり、好調であった様子だった。
そういうこともあり、自分のアルバイト代も足して2年と3年の夏休みには、オーストラリアとカナダにホームステイをさせてもらった。
この2つの国を訪れたことは、その後の人生において大きな影響を受けたと思う。
驚かされたこと、考えさせられたことは、自分も含め日本の大学生は幼いということだった。
小学生の課題が、たとえば与党と野党の政策の違いについてだったりする。
当時の自分にとって衝撃だった。大学生ともなればそれを題材にディベートになることだろう。
特にカナダでは、ホストファミリーの質問が大変難しく、日本の政治や郵政のシステム、天皇の戦争責任問題、捕鯨問題にまでおよんだ。
拙い、めちゃくちゃな英語での受け答えでしたが、ホストファミリーは根気よく、時にめちゃくちゃ英語を直しながら聞いてくれました。
特に捕鯨問題では、「かわいくて、賢い鯨を何故たべるのか。」との問いに対し、私は「牛だってかわいいし、豚だって賢い、でもあなたもたべるでしょ。」と答えた。
納得できず、だんだん感情的になるホストシスター(といっても僕より10歳以上年上)に困りながら、必死に考えた一言は、「それじゃ、食べてよい動物といけない動物の境とは何か、どこにそのラインはあるのか、教えてほしい。」だった。
さすがに彼女は沈黙した。もちろん、黙らせようと思っての言葉ではなかった。
ホストファーザーは口を挟まずじっと聞いていたが、意見は完全に違うであろう島国からの珍客の回答を気に入ってくれたらしい。
全く相容れない意見であってもはっきり言ってよいし、そういう存在を認めることができる。彼の懐の広さを感じたものだ。
夏休みの僅かな期間ではあったが、充実した期間であった。
帰国後、漠然だがよい意味でその国の文化背景にキリスト教という宗教があることを感じながら、湾岸戦争が始まると宗教ゆえの対立に対し考えるようになった。
統一教会との出会いは、一通り自分なりにそれらを考えた後のことだった。
友人の訪問と間違ってアパートのドアを開けたら見知らぬ人物が立っていた。
彼はシュバイツァーを尊敬している人を勧誘しようとその日考えていたらしい。
私は歴史に出てくる人物は好きで伝記や人物伝は好きだった。
そして、その日VTRで見ていたのが、’シュバイツァー’に関するものだった。
尊敬する人物の問いに’豊臣秀吉’だって良かった(実際好きな人物の一人。)
だが、その時は直前まで見ていた’シュバイツァー’の名前を挙げた。
彼(霊の親)は運命を感じたらしい。
熱心な勧誘に話だけ聞いてみてもいいかと思い聞いてみると内容は至極もっともだった。
’原理’の内容もキリスト教が正しいとするなら、その通りだと思った。
それでも、内容を理解したらやめるつもりでいた。
2Daysセミナーに行き、4Daysセミナーはニセコの山の中だった。
蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山
山の中の4Days修練会だった。
その4Daysセミナーの最中、祖母危篤の知らせが入った。
いろいろとあったが、自分の意思でセミナー途中で帰った。
最寄の駅までスタッフが送ってくれた。
(自分の意思をはっきりさせただけで特に何もしてはいない。)
その教えにはどこか感じるところがあり、その後自分の意思で再度4daysセミナーに参加し、後に教会の礼拝にも参加した。
しかし、自分の意識は入信したという意識はあまりなく、いつでも学ぶのをやめそうなそんな感じだった。
それゆえ、何一つ気持ちが定まっていなかったあの時点で入信したとは言えなかったし、言わなかった。
実際、同じく2Days,4Days出た面々は一部家族の反対でという者もいたが、大半自主的に来なくなった者が多数派だった。
その後、数ヶ月、学生部で過ごした。
卒業に際し、強く献身をすすめられ、チャーチ・マザーとも面談したが、献身の件は断った。あまり、しつこいので就職して3年したら献身と言って切り抜けたが全くその気はなかった。(その後も献身はしていない。)
私は4年生の春から就職活動をして、他にも内定のもらえそうな会社はあったが、祖父のコネもありD社という会社に入社、就職する方向に決めた。
その方が、親も親族も安心し、良いだろう。そう思ったからである。
つづく
支笏湖:最大水深363mのカルデラ湖でバイカル湖、摩周湖に匹敵する
透明度を持つ、その水深により貯水量は琵琶湖に次日本第2位。
ご当地ソング♪
支笏湖:支笏湖慕情
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