ブログ記事「未だに」で、「行田教会では少なくとも2012年2月12日までは黒鳥、清水裁判支援献金のお願いを続けてました。」と書きました。もちろん証拠なく言い放ったものではありません。これが証拠の日本基督教団行田教会の週報です。 2012年2月12日の週報 週報の裏面に”黒鳥、清水裁判支援金をお捧げください”の1文がある。日本基督教団行田教会の牧師は、清水与志雄牧師。
黒鳥は同じく日本基督教団の黒鳥栄牧師。清水牧師は、以下の方々の「拉致監禁」関与した人物である。
清水与志雄牧師1995年高須美佐(当時27歳)<証言、陳述書>三浦市の実家に戻る途中、両親に拉致される。横浜市のアパート、群馬県・太田市 のマンションに6ヶ月半監禁される。脱会。その後、重度のPTSDを発症。1995年宿谷麻子(当時31歳)東京の早稲田通りで両親らに拉致される。横浜市のアパート、群馬県・伊勢崎市の マンションに5ヶ月間、監禁。脱会後、重度のPTSDを発症する。1995年田村 (当時25歳)東京の実家に戻ったところを拉致される。群馬県のマンションに2カ月半監禁され る。脱出。両親は戸塚教会(黒鳥栄)の勉強会に参加。韓国在住、四児の母親。1997年小林宗一郎(当時25歳)<証言、陳述書>東京の北千住の路上で家族ら約10人に拉致され、太田市のマンションに7ヶ月 間、監禁される。監禁中に病気になるが、清水の指示ですぐには病院に行かせてもらえず。その 後、脱出。両親は戸塚教会の勉強会に参加していた。これ以前にも2回ほど監禁されたことがある。
川崎市のファミリーレストランを夫と一緒に出たことろで、両親ら約10人に襲わ れ、理絵だけが拉致される。横浜市、藤沢市のアパート、埼玉県・深谷市のマンションに6ヶ月間、監禁される。
偽装脱会によって自由に。脱出後1年間PTSDに苦しめられる。両親は戸塚教会の勉強会に参加していた。現在、三児の母親。
その後、黒鳥、清水などを民事提訴。一審、二審は敗訴するも、最高裁が異例の和解勧告をする。牧師2人は勧告を拒否するも、家族とは和解が成立。この裁判 は黒鳥、清水が所属する日本基督教団に大きな影響を及ぼす。
1997年 O・K男(当時27歳)<証言、陳述書>埼玉県の自宅にいたところを、両親と長崎県出身の山下という見知らぬ男性によっ て力ずくでバンに乗せられ、群馬県・太田市の改造されたマンションに監禁される。3週間監禁後、裸足で脱出。昭島市(東京)のアパートで両親らに拉致される。太田市のマンションに2ヶ月間 監禁後、脱出。脱出時に骨折。 清水などを民事提訴するも、一審、二審、最高裁すべて敗訴。アントール夫妻の働きかけでアメリカ国務省の「宗教の自由に関する国際報告書」に 事件が取り上げられる。 96年にも拉致監禁され、愛澤の説得を受けている。アメリカ在住。
上記の中で裁判に至ったのは、今利さんのケースとアントールさんのケース。今利さん、アントールさん共に民事提訴したのは1999年のこと。そして、アントールさんの敗訴が決定したのは2003年のこと。今利さんのケースで最高裁の異例の和解勧告がなされたのは2006年のことだ。今利さんの和解勧告から数えても6年も経っているにも関わらず、日本基督教団行田教会では裁判支援献金のお願いをし続けていたのだ。何故か?「火の粉を払え」にはこのような記述がある。
<参照 清水牧師の正体 勝ち犬の遠吠えシリーズ>
<引用はじめ>「確か2007年頃だったと思うが、元エホバの証人が主催する1泊2日の勉強会が愛知県で行われた。そこに清水さんも参加し、「もう裁判はコリゴリ。5000万円もかかったんですから」とこぼしていた。」<引用おわり>清水与志雄牧師は裁判には紛れもなく勝った。しかし、清水牧師は多額の負債(裁判費用)を背負ったということであり、行田教会の信徒達は清水牧師がしでかした「拉致監禁」のツケを支払わされていた(いる)と言っていい。清水牧師ばかりではない。自殺した故高澤守牧師は広島夫婦拉致監禁事件に絡みこう述べたという。「今まで脱出して私を裁判で訴えてきた富澤さんや寺田さんがいるけど,私は裁判で負けても損害賠償として30万円払ったらそれで終わりよ。裁判を仕掛けてくるなら堂々と受けて立つ!裁判が怖くてこんな事できるか!裁判も大歓迎だ!」 (出典:広島夫婦拉致監禁事件・民事訴訟の訴状を公開(後半)数千万円の裁判費用は、数十万円の損害賠償より抑止力になり得る。清水与志雄牧師が5000万円という裁判費用を背負ったこと、その支払いのため2012年になっても支援金を募っていたという事実を知った時、もし、自分が裁判を起こしていたらどうなっていただろうと何度も何度も考えた。むろん、裁判という土俵では物的証拠がないので負けるのは目に見えている(いた)。しかし、裁判で負けても牧師らに高額な裁判費用を負わせることができたなら、自分が「拉致監禁」から出てきた1996年3月以降の「拉致監禁」の抑止効果があったのではないかと、、、。でも、当時の自分の精神、心理状態を思い起こすとやはり裁判を起こすのは無理だっただろうと、、、。そして、なんとも悔しい思いにもなる。もちろん、私の気持ちは金額の多少ではなく「保護説得」なるものは「拉致監禁」であるとを認めてほしいに尽きる。
悔しく思うのは一人でも「拉致監禁」される人が減ったのではないかと思ったりするから。※いつの間にやら、日本基督教団行田教会のHPが閉鎖されていた。http://gyoda-church.jp/ (日本基督教団行田教会の旧HPアドレス)
そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。
正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」 (創世記4章7~8節)
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