在米の統一教会信者秀のブログ 95年8月~96年3月7つの鍵で施錠されたマンションの高層階で監禁下での脱会説得を経験。
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[11回]
震災復興への祈り時計
COMMENT
無題
「ユダヤ人が、その当時の法律に則って、イエスキリストを十字架につけて殺害した」ことは「善」だったというお考えでしょうか?
また、「タマルが、当時の戒律に反してユダと淫行を行ったこと」や「アブラハムが自分の息子であるイサクを殺そうとしたこと」や「西川勝先生が日本に不法入国して伝道した」ことは、全て「悪」であり、そうすべきではなかったというお考えでしょうか?
バカが来たよ!
バカ丸出し。
不法は不法だよ!
時代を考えろ。
津和野の隠れキリシタンと、統一とはまるで違う。
嗚呼、統一にはバカしか残っていないのか。嘆きの滝だなぁ。
無題
秀様も、米本様と同じ意見ということでよろしいですよね?
霊感商法正当化の風が吹くと改宗屋が儲かる
絶対主義 =偶像崇拝 =偶像が発信した目的のために手段選ばず行動を正当化 =宗教カルト =反社会勢力 =平和を脅かす存在 =成敗の対象 =拉致監禁して強制改宗の対象
もともと統一教会のやってきたことにはこういう一連の図式があり、最後は韓国の上層部だけが金権三昧に明け暮れ、末端の信者とその家族がとてつもない犠牲を強いられる現実があったということを理解しているのだろうか。
これがすべての人間が望む天国への道だというのか?
コンプライアンス
2000年前またそれ以上前に聖書の登場人物が法を犯していたのだから、現代においてもそうして良いということにはならないと思います。
秀のブログの左右にある”会員の心得”と”徳野通達”を唱和下さい。
それは家庭連合のでしょとは言わないでくださいね。
サンクチュアリでも顕進様支持グループでも他のグループでもこれらより後退する見解なら先はないと思います。
摂理であった(ある)から、害悪の告知をして、過度の不安や恐怖を与え、あまつさえ騙して良いというのであれば法令尊守など不要です。
「違法行為で逮捕されましたが摂理だったので正しかったのです。云々。」一般市民や親族、地域の方々に本当に理解してもらえると思いますか?
無題
では、もう少し、質問させて欲しいのですが、
秀様は、
イエスキリストが処刑されたことは、当時の法律に則って、正しく処刑された正しい行いであったと考えていらっしゃるのでしょうか?
イエスキリストが若くして処刑されるより、イエスキリストが1年でも長く生き続けた方が、世界平和の利益になっていたとは考えないでしょうか?
また、イエスキリストが、十字架で処刑された当初、イエスキリストを義人と認めた人はごく僅かで、大多数の人はイエスキリストを犯罪者扱いしていました。
しかし、では、なぜ、現在は、イエスキリストを犯罪者でなく義人と信じる人が、かくもたくさんいるとお考えなのでしょうか?
今の法律で犯罪者扱いされても、将来、犯罪者扱いされなくなる可能性があると考えることは間違っているのでしょうか?
次の内容についても教えていただきたいです。
ガリレオガリレイが処刑されたことは、当時の法律に則って、正しく処刑された正しい行いであったとお考えでしょうか?
ジャンヌダルクが火刑にされたことも、当時の規則に則って、正しく火刑された正しい行いであったとお考えでしょうか?
長崎の26聖人が張り付けにされたことも、当時の法律である秀吉によって正しく処刑された正しい行いであったとお考えでしょうか?
今の法律に従うことが未来永劫「善」になるとは限らない、という考えを持つことは、悪いことなのでしょうか?
(もちろん、家庭連合会員は法律を犯しても許されるなどとは、全く思ってませんので、そこのところは誤解しないでください。)
私は、文先生に罪はないと思ってます。なので、文先生は犯罪者ではないのに、犯罪者扱いされて牢獄に入れられたと思ってます。
きっと、秀様は、そういうことも言えないでしょう。
私は、米本様から、どんなにバカ扱いされても、そう信じます。
そして、いつか、イエスキリストがそうであったように、文先生も無実の罪を着せられて牢獄に入れられたと、たくさんの人が言うようになると信じます。
確かに西川先生は法律を犯しました。しかし、いつか、西川先生の行為は日本に福音をもたらした義なる行いだったと、たくさんの人が言うようになると信じます。
以上
なんだか誤解されてそうな・・・
>米本様、バカにお付き合いくださり、ありがとうございます。
どの文のことでしょうか。
>私は、米本様から、どんなにバカ扱いされても、そう信じます。
どの文でバカ扱いしたのでしょうか。
なんだか、誤解されているようで、不安定な気分になります。
M氏のような方もいたんですね
「印鑑のトークみたいだね」と言われたことです。
携わっていた兄弟姉妹の多くが、語っている事が正しくても、トークとして認識していたのを知りました。
本当に救いを実感していて、対象者を愛していたら、結果は違ったものになっていたでしょう。
M氏のような実体が存在していたのは、嬉しいです。
お父様は、「恐怖で主管するのはサタンの戦法だ!サタンはエバを恐怖で主管したのだ。」
とおっしゃいましたので、どんなに動機が善いとか言っても、おどす要素があればサタンが喜ぶものになってしまうでしょう。
救いの心情で、真実を語り忠告して愛するのと、似ていても方向が真逆です。
秀さんの真っ直ぐに語る姿勢に脱帽です。
がんばれ一信徒