在米の統一教会信者秀のブログ 95年8月~96年3月7つの鍵で施錠されたマンションの高層階で監禁下での脱会説得を経験。
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「神の教えを信じているだけで不当に扱われるのですか。」ワシントン市内での同性婚に関するシンポジウムで質問に立った牧師の男性の言葉だ。
同性婚承認の流れが強まる米国では、信仰上の理由から同性婚への関与を拒む人々への批判も増している。発言はこうした潮流への不安の表れを示すものだ。例えばニューメキシコ州では、同性カップルの結婚式の写真撮影を信仰上の理由で断った写真家が、差別的な行動を取ったとして有罪判決を受けた。同性婚カップルへの養子縁組を拒否しているキリスト教団体に対し、「税制上の優遇措置を取り消すべきだ」といった批判が上がることもある。米国では異性間の結婚こそが、神の教えに従った「自然なもの」だという考えも根強い*1。政府による同性婚承認には反対しないが、信教の自由も認められるべきだという主張も多く、先の牧師の男性の表情も真剣そのものだった。取材中には同性愛者への強い反発に出くわすこともある。中小企業経営の女性から「オバマは米軍基地にゲイバーを作ろうとしている。信じられる?」と感情的にまくしたてられたときは返答に窮した。
同性愛者の権利と信教の自由の両立を探る試みは、差別意識という雑音も手伝って複雑さを増している。(小雲規生)
かつては、差別される存在だった同性愛者は市民権を得て
堂々と結婚できるようになったが、信仰上、同姓婚をよし
としない人がそれを理由に写真撮影を断ると差別とされて
犯罪とされるようになった。
単に同姓婚の是非ではなく次のことを考えていただきたい。
一つの差別の克服が’新たな差別’を生むことになる(なった)
のではないか?
いろいろと派生的に話は膨らせられると思います。
*1 いわゆるキリスト教右派といわれる宗派での主張としては
一般的だと思う。
付録
米女優J・フォスターさん、同性婚を発表
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