家庭連合VSサンクチュアリ教会 いままで、公文を出したり、「統一マーク」の商標を主張してのYOUTUBEアカウント停止や、「天一国」という言葉そのものを商標登録を進めている世界平和統一家庭連合。 今までは、ネット上であったり、公文もEMAILでの発信であった。 まあ、小競り合いが続いていたと言っても良いでしょう。 しかし、今週のアンドリュー・ウィルソン博士によるニュージャージー教会の礼拝を皮切りに”全面対決” に入ったと私は思います。 なぜなら、この礼拝は1教会に留まらず全米ツアー になるだろうから。 カルフォルニア州とならび会員数の多いニュージャージー州の礼拝での直接的なサンクチュアリ教会および亨進様批判説教は、日本や韓国に比べ比較的寛容なアメリカにおいて物議がでそうです。 実際、ある教会公職者は、「(サンクチュアリに)行くか、行かないかを(私が)コントロールすることはできない。」 と言っていたという。 つまり、いろいろなことがあっても「個人の信仰は尊重する」 という立場を堅持していたはず、、、だった。 ゆる~く、二束のわらじ状態であっても、それでも許されていた。 しかし、今後は一変するであろう。各人の決断が迫られるということだ。 亨進師は、特に脱会届を出すようには指示を出されてはいない。 しかしながら、今まではアメリカにおいても役職や立場があり出さざる得ないメンバーが脱会届を出していたが、一般信徒においてもその傾向が強くなると予想される。 現に、一般信徒が脱会届を出したという話も聞いている。 VIDEO アンドリューウィルソン博士説教 09/27/2015 礼拝参加者からの情報では、ウィルソン博士は、亨進様のことを”ペンシルベニアの男” 言い、サンクチュアリ教会のことをコテンパン に言っていたという。 同じく、博士号を持つ神明忠昭元UTS総長はこう批判している。 出展はFACE BOOKというのは誤った情報でしたので、訂正削除します。 出展不明でしたが、神明博士に確認、掲載についても許可をいただいております。 (引用はじめ) 1.サンクチュアリ教会では本当に聖霊が働いているのだろうか
最近、食口達がサンクチュアリ教会に惹き付けられて流れて行くような動きがあり、そこに行けば聖霊の働きが感じられるというようなことも耳にします。
しかし、現在のサンクチュアリ教会の信仰観は、自分達こそが神側であり、手向かう相手方は完全にサタン側であるという善悪二元論に立つ独善的なものであるように私には思えてなりません。
例えば、9月13日のサンクチュアリ教会の説教は、お母様を黙示録17章に出て来るバビロンの 「大淫婦」 に相当するとして批判し、そのようなサタンはスーパーシュミタの今年2015年から始まる大審判によって滅ぼされると警告しています。
このような説教を聴いたら、いよいよ最後の審判が下されて悪の勢力は消滅するのだと思い、ある意味では、希望と興奮の渦が湧くことでしょう。教会に問題があると感じていれば、サンクチュアリ教会にこそ解決があったと思い、それに惹き付けられるかも知れません。 しかし、真のお父様の本来の教えは、アベルとカインが和解して、両方とも神様の許に戻って行くということではなかったでしょうか。特にアベルはサタン側のカインに仕えて、愛して、神様の許に一緒に行こうではないか、といって、自分がたとえ犠牲になったとしてもよいと思う位の 「アベルの正道」 の道があったはずです。それこそが、イエス様が黙示録ではなく福音書で 「敵を愛せよ」(マタイ5:44) と説かれたのと一致しています。
私は、亨進様がアベルでお母様がカインだとは思いませんが (むしろ、その逆だと思っていますが)、たとえ亨進様の眼から見て、お母様が間違っていらっしゃり、サタン的に見えたとしても、お母様の許に行って仕えて、愛し抜くのが真のお父様の願いであり、イエス様の願いであると確信します。たとえ、如何なる困難があったとしてもです。そうすることによってのみ、双方が生かされるわけです。そこにこそ本物の奇跡が起こり、聖霊の渦が湧き起こり、無償の愛で感動の涙が流れて止まなくなるのではないでしょうか。
なので、サンクチュアリ教会が相手の滅亡を望む時に起こる、ある種の興奮の渦は決して本当の聖霊の働きではないことを知るべきだと思います。片方のみが救われ、もう片方が滅びるのは決して天の願いではありません。
ところで、キリスト教の歴史を見ると、福音書よりも黙示録に重きを置くいわゆる 「黙示思想」(Apocalypticism) の運動はいくらでもありました。この黙示思想はもともと紀元前2世紀にユダヤ人がシリアのセレウコス王朝から迫害された時に、ユダヤ人の間で始まった信仰ですが (旧約聖書のダニエル書参照)、その伝統に立つのが新約聖書の黙示録です。その善悪二元論的傾向ゆえに、信仰者を戦闘的な信仰者にしました。信仰はサタンの力との戦いなので、ある程度戦闘的になるのは仕方がありませんが、福音書におけるイエス様の本来の愛と赦しの教説とのバランスを取らないと、排他的になり、人間の努力とは無関係な超自然的な審判に頼るようになり、反社会的にすらなる可能性があります。
その例が、2世紀のモンタノス派、中世のカタリ派、宗教改革時の16世紀ドイツのトーマス・ミュンツァーの集団、17世紀英国の第五王国派、20世紀アメリカのデヴィッド・コレシュによるブランチ・ダビディアン集団などです。彼等はそれぞれ、黙示録のバビロンの大淫婦はローマ帝国、カトリック教会、既成の教会や世俗政治体制だとして、それに対する反乱を起こしました。
実は私は、亨進様が世界会長に就任された時から、亨進様の大ファンでした。亨進様が福音書での 「長血をわずらっている女」 や 「百卒長」 に対するイエス様の真実の愛について説かれた時、また真のお父様による怨讐への愛について訴えられた時、私は大きな希望を持ったものです。そのような亨進様に戻って頂きたい、というのが今の私の切なる願いです。
黙示録は上記のような問題の可能性をはらんでいるので、正典に入れらるのには多くの論議が起こりました。象徴的に書いてあるので、悪用される恐れもあったためです。特にギリシャ正教会では、黙示録を正典に入れたのは大分後になってからでした。
2.サンクチュアリ教会のもう一つの問題点
Freedom Societyという国進様の考えに基づくサンクチュアリ教会は、国家主権復帰への関心を全然持っていないようです。
サンクチュアリ教会によれば、国家政府は天使長の立場にあり、市民がアダムとエバの立場にあるので、政府は出来るだけ小さな政府として市民に仕えればよいのであって、中心である市民こそがしっかりとして、その自由を発揮しさえすればよいということのようです。(実は、これはアメリカの共和党の見解に似ています。) これによると、もし政府が抑圧的になれば、市民は銃を持ってその抑圧から自分を守るべき権利があるというのです。そういう理由で市民が銃を持つべきというのは、最近の亨進様の奥様の説教からもはっきり分かります。
しかし、このような政府 (天使長) と市民 (アダム、エバ) の緊張関係は永遠に続くべきなのでしょうか。そうではないと思います。お父様は国家主権復帰の必要性について何度もいわれました。そして、国家主権復帰がなされれば、国家の首長 (大統領など) は真の父母の立場から市民に対して父母の愛を持って接するようになるということです。そのような理想世界では銃の使用などはハンティングなどの趣味産業を除けばなくなるのではないかと思います。
国家主権復帰に関心がないサンクチュアリ教会は、原則的には神の国は地上にはあり得ないという新約的な信仰観から来ているように思えてなりません。お父様の本来の願いである国家主権復帰の責任を放棄しているようです。2012年の前半頃だったでしょうか、当時世界会長の亨進様が、アダムとエバの立場にある私達がしっかりすれば、あとは政府なんかどうでもいいのだ、だから、事はとても簡単だ、みたいなことを笑いながらおっしゃった時、何か責任放棄のように聞こえたので、違和感を感じたのを覚えています。
20世紀の初頭において、アメリカのバプテスト派のラウシェンブッシュですらも、有名な 「社会的福音」(Social Gospel) の神学を展開して、神中心の社会体制改革を訴えました。私達も、個人的なレベルの信仰だけではなく、隣人を愛し、怨讐を愛するという福音書におけるイエス様の本来の倫理的な教え (即、真のお父様の本来の原理的な教え) を実行して、社会と世界を変えて行かねばならないと思います。
(こういう私も、国家主権復帰について語る資格はないかも知れません。しかし、これを機会に実生活の中でそれを真剣に取り上げて行くようにしたいと思います。)
(引用おわり)
In the midst of conflicting claims by the Family Federation and by supporters of the Unification Sanctuary, I would like to propose a public forum in the NY/NJ area. Dr. Wilson, Dr. Balcomb, or anyone the Family Federation chooses could speak first about Mother's new theological innovations and why they believe these deserve our support. We could have a lively, but respectful, discussion about how to preserve True Father's real legacy to which many of us have given many decades of our lives. What do you think? Richard A. Panzer, Ph.D., President
World Peace and Unification Sanctuary - USA
家庭連合と統一聖殿(サンクチュアリ)における意見の相違について、私は、ニューヨーク、ニュージャージーエリアでの公開討論を提案いたします。 ウィルソン博士でもバルコム博士でも、家庭連合が選ぶ誰とでも、お母様の新しい神学革命と何故それらを信じ、支持たりえるのかについて話せます。 私たちは、たくさんの人が人生の何十年も与えられた真のお父様の本当のレガシーをいかに守るかについて、活発でていねいな議論ができるのではありませんか。どうですか? 世界平和統一聖殿 USA会長 リチャード・パンザー
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COMMENT
無題
でも、神様の軸である真の母が軌道から外れた。現在は状況が違います。サタンが神様の聖域に入ってしまった。
ので、守る必要の無い地上天国ができるまでの過渡的な段階として話されていると私は、理解しているのですが…
Re:無題
>でも、神様の軸である真の母が軌道から外れた。現在は状況が違います。サタンが神様の聖域に入ってしまった。
>ので、守る必要の無い地上天国ができるまでの過渡的な段階として話されていると私は、理解しているのですが…
ひよっこさん(なんか、私が上から目線で言っているように見えてやだけど)
どこの部分について話されていますか?
最初の部分以外、今回は引用したものですが、、、。
特に神明博士のサンクチュアリ批判部分を私の言として取り違えたコメントではないでしょうか?
間違えてましたm(__)m
秀さんのブログ前こんなんじゃなかったのになぁ〜っと…少々不思議に思いつつ
大変失礼致しました。
No Title
>市民こそがしっかりとして、その自由を発揮しさえすればよいということのようです
どこが問題なのか・・・という感想をもちました。
個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様という順序を考えれば、まず個人がしっかりするのは当然では?
お父様の御言葉に「全員がイエス様のような人たちであれば、すなわち地上天国」みたいな内容があったと思います。
したがって、個性完成が国家主権復帰に先立つべきだと思います。
さらに言えば、イエス様のような人が教会内に現れれば,国家主権復帰は時間の問題のような気がします。
真のお父様が本当に願われたのは、そのような人物の出現だったのではないかというような気もしました。