間が開いてしまったのだけれど、備忘録また一区切りとして記事にしておく。質問状送付に際しては当然だけれど、本名を名乗った上で送っている。
<質問状>
この度以下の記事を私個人のブログにて書きました。
以下の質問また謝罪を要求させていただきます。
1、青葉台教会の裵柄喆教会長は、聖日礼拝の説教の中で「信仰よりも礼儀。日本人はキリスト教の伝統がないので礼儀がない。」と述べられています。
「信仰よりも礼儀。日本人はキリスト教の伝統がないので礼儀がない。」というのは日本統一教会の指針、方針と一致するものでしょうか?
2、青葉台教会の裵柄喆教会長は、「聖日礼拝の説教」の中で、「8/30までの聖和3周年まで日本はどこに火山、地震が起こるか分からない。日本の全責任者が渡米したら日本で地震があった。しかし戻ってきたので大丈夫だ。」、「私は好きで日本に来たのではない。日本を救わなければならないと思ってやっている。韓国人が日本に帰ってきたので地震は起きない。」と述べられています。
これらの説教内容、「日本の責任者または韓国人牧会者の移動により日本の天災がおきるのだ」とする内容は、日本統一教会の方針、考え方と一致するものでしょうか?
3、青葉台教会の裵柄喆教会長は、21日の「聖日礼拝・説教」において、私のブログを名指しで批判されています。
一教会員の「ブログ」に対する反論を「聖日礼拝・説教」として行うことが、適切な礼拝内容であるとお考えでしょうか?
4、上記、21日の礼拝の中で、青葉台教会の裵柄喆教会長は、ブログコメント欄での私の発言「礼拝をレコーダーで録音してみるのも良いでしょう。」「まともな内容なら録音は問題にならないはずです。」という私のコメントに対して、「93日路程は面接路程を組む。」、「礼拝を録音している人はいないか。」と述べておられます。すばらしい内容の説教であれば、むしろ積極的に公表すべきであり、録音、録画を取り締まるような行為は、暗に聞かれてはマズイ内容を礼拝の説教で話しているという証左と判断されても仕方のないことと思います。
面接をくみ、礼拝を録音している人はいないか探すような統制は、日本統一教会の方針でしょうか?
5、青葉台教会の裵柄喆教会長は、公的な礼拝の場で「その秀のブログ、、、住所まで特定して調べることができる。取り締まることもできる。」、「インターネットは私は93年頃から始めたので詳しい。」、「IP調べれば何処の誰だかすぐに分かる。」と述べられています。
これらの脅迫といっても良い発言は、聖日礼拝の説教の中において話されておりますが、礼拝での説教内容として、また牧会者の発言として適切なものであるとお考えでしょうか?
6、青葉台教会の裵柄喆教会長は、公的な礼拝の場で私個人のことについて「彼はお父様を完全に否定している。そういう人が書いている。」、「文教祖が言っていることは全部正しいことではないと。(歴史観も含めて)」、「ただメシアの血統性だけ信じて、、、こういう論理だ。勝手にインチキである。」と述べられています。
しかし、私が(本文記事ではなく)コメント欄で書いたのは、「メシアとかキリストという存在は、全てにおいて完璧な人間を意味しないと解します。~中略~よって、その人物の歴史認識や自然科学、その他の知識が必ずしも正しいとはかぎらないという考えです。」と述べたのに過ぎません。また、この発言は、統一教会に反対する読者のコメントに対しコメントした内容です。
私は「文教祖が言っていることは全部正しいことではない。」などという発言(コメント)はしておらず、ましてや「お父様を完全に否定して」などいないのは明白です。
聖日礼拝という公的な場において、事実と反する内容で、「彼はお父様を完全に否定している。そういう人が書いている。」、「インチキである。」と述べることは統一教会信徒としての名誉を傷つける誹謗、中傷の類以外の何ものでもありません。訂正ならびに謝罪を要求します。
7、青葉台教会の裵柄喆教会長は、内部からアンチ出るのは恥ずかしいことだ。」、「在籍外してアンチするように。」と述べられています。
脱会しないと、批判、諫言してはならないというのが日本統一教会の方針でしょうか?
以上、誠実な回答を期待いたします。
これに対する返答が来ることはないのではと思っていたが意外にもきました。
<お問い合わせの件については、本部が責任を持って対応します。
上記、ご理解のほど宜しくお願い致します。>
これだけです。
どう具体的に責任を持って対応するのか全く不明です。
さらにいうと、この定型文は私と別の方が質問を送った際の回答文と全く同じ文でしたとさ。
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