今もって日本の企業の中には、職業訓練とは関係のない、精神修練に重点を置いた研修をやりたがるところもある。しかし、それは社員“教育”と謳ったところで、結局は、普通の人を、企業の私益のために進んで働く人間へと変えるのが目的だ。つまり、実態は「社蓄化マインドコントロール」に他ならない。
ただ、それでも企業はまだ労働者にとって給料の支給者であり、その意味で企業利益と一蓮托生と言えなくもない。また、金の切れ目が縁の切れ目として機能する。しかし、宗教組織となると、「教え」と称するものを、ただ売りつけるだけのところが少なくない。しかも、個人の道徳性の向上を名目にしながら、実際には一方的に搾取し、使役するケースがほとんどだから、さらに悪質なマインドコントロールと言わざるをえない。
酷い例になると、毎月、収入の一定分を巻き上げられた上、高額商品を買わされ、かつ労働力や選挙サポーターとして動員されている人もいる。ここまで組織に従順で、進んで滅私奉公する者のことを、世間では奴隷、下僕と呼ぶが、本人はあくまで熱心な信仰のつもりでいる。しかも、死後に天国に行ける、終末の日に選ばれるなどと信じきっているケースが多いから、なおのこと悲惨であり、かつ教団の罪も深い。
マインドコントロールがあるとすると、当然企業にもマインドコントロールが存在することになる。特に起業家であるトップに哲学があれば尚更だ。
いつの世でも今時の若者は云々という話はある。たしか古代エジプト人が「近頃の若者は~」というフレーズをすでに残していたという話を聞いたことがある。
企業の研修は、学生から社会人となるのに精神的にも変革が必要でそのために精神修練があっても良さそうにも思うが。
企業は無償のボランティア団体じゃないから、新入社員には早く使える人材に育ってもらわないといけない、そう言った意味では、研修をやってくれる会社はありがたいのかもしれない。
そうでなければ、欧米流で”仕事のできる即戦力の人材”を優先して採用ということになるのだろう。それはそれで厳しい。
さて、宗教であるが、生活の糧のために宗教やっている人はさておき、”イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。”~マタイ4章4節とあるように必ずしも「教え」と称するものを、ただ売りつけるだけではなく、礼拝や説教で充足感や活力を得られるならそれは給与等以上のベネフィットにもなり得る。説教する教会長、牧師は信徒に充足感や活力を与えることのできる説教ができているか、そのような教会活動ができているか考えないといけないんじゃないかな。
キリスト教会全体としても信者減っているんでしょ。
<参照記事>最新版『宗教年鑑』発行 キリスト教系信者数は前年比1万2千人減
そうそう、たしかに「人はパンだけで生きるものではない」かもしれないが、「人が生きるにはパンもまた必要」ですよ。
それと、違法な高額エンドレス献金には反対としても、組織に従順で、進んで滅私奉公する者のことを、世間では奴隷、下僕と呼ぶというなら、「神の愛の宣教者会」の修道女とて奴隷、下僕となる。
<参照記事>聖女ではなかったマザー・テレサ 「洗脳看護?」「カルト施設?」、その実態とは!?
さて、芸能界やスポーツ界の洗脳騒動に戻ろう。上記の理由から、これらはA:洗脳、B:マインドコントロール、C:教育・指導(の影響)、というふうに分けると、世間で騒がれているようなケースは、いずれもBかC、もしくは両者の混合か、境界線にある事例と言ってよい。つまり、本当の意味で「洗脳」されたケースなど、ほとんどないと考えられる。能年玲奈や貴乃花のケースなどは、Cなのではないかとすら思えてくる。
このように、明確な基準を用いると、洗脳という表現がかなり安易に使われていることがわかる。しかし、それはメディアとわれわれ受け手側の責任なのだ。言葉は悪いが、著名人には「見世物」としての価値がある。そんな人が世間一般の常識から逸脱した奇矯な言動や行動をとったとなれば、われわれ小市民は遠慮なく噂話の対象にすることができる。「あの有名な人があんな事を!」というわけだ。言うまでもなく、それはわれわれにとって「娯楽」だ。だから、メディアも、その種の“事件”を目の色を変えて取り上げたがるし、無ければ無いで、些細な事例を誇張したり、場合によってはでっち上げたりするのである。
(文=山田高明)
女優・能年玲奈さんのケースだが、別の記事 ”能年玲奈、洗脳疑惑に同性愛疑惑まで? 騒動の行く末は”からも滝沢充子氏との大変親密な関係はわかるのだが、、、次の記述が目を見張る。 ”(能年玲奈さんの所属事務所)レプロ(レプロエンタテインメント)は能年がNHK朝の連続ドラマ『あまちゃん』に出演するようになっても「月給5万円」「多忙でも車を回さない」「マネジャーのフォローもない」などといった扱いで冷遇していたと報じられた。能年はパンツを買えないほどの窮状に陥り、見かねた滝沢氏が身の回りの世話をするようになったといわれている。”
これが事実なら、今回の騒動で「洗脳」という言葉を最初に使ったレプロの代表・本間憲氏が、洗脳騒動を仕組んだとの見方もあながち”嘘”とは言えなかろう。
レプロエンタテインメントはとんでもない「ブラック事務所」で、所属する若い女優をパンツが買えないほどまでに冷遇し「社畜化」していたということになるし、”洗脳”とか"マインドコントロール”していたと言うことも可能だということなのだ。
つまり、洗脳されているとかマインドコントロールされているなどというのは、どのような立場から見るか、もっと言うと単に好きとか嫌いかというような見方でも、いくらでも全く違って見えるということになる。
そんなところが、近年、裁判でマインドコントーロールが主張されることがなくなったゆえんじゃないだろうか。
また、マインドコントロールが虚構の論理といわれる理由の一つであろうと思う。
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[2回]
COMMENT
間違えました。
秀さん、お願いだから、まぎわらしいタイトルつけないでください。(笑)
私はてっきり、「パンツを取り替えない」という意味にとってしまいました。あまりの忙しさにゆっくり、取り替えている暇がないのかと思ったんですが、「買えない」でしたね。(本当は狙いましたね?)
マインドコントロールね。あまり好きではない言葉ですが、どこまで本当か嘘か、そして個々人の思考や見方も異なり、ずいぶん曖昧な意味合いがあるように感じますが、今頃になって裁判で使われなくなったって、ずいぶん遅い気付きですね。