まあ、これもサボっていた間の後始末、たしかCOSMOS女史に”「火中のドン栗」さん”と呼ばれているお方のブログ記事。
2015/07/17 12:44
こんな間抜けな指摘がありました。
「2013年2月の祝福リングにお父様のサインがない」
そりゃ聖和されて地上にないんだから、サインできないのが当然です。
お母様しかおられないんだから、お母様のサインしかないのが当然です。
祝福を主管されたのがお母様なんだから、そりゃサインぐらいあってもおかしかないです。
この部分についてはすでにコメント欄でサフラン氏にぶった切られいました。サフランさん鋭い!コメント引用<間抜けな意見
祝福のリングにお父様が、亡くなっているから書けない?これこそ、間抜けな意見だと思います。
たとえ、亡くなっていたとしてもお父様が生前書かれたサインがあるのだから、刻印しようという気持ちがあれば、出来ますよね。
でも、そんな気持ちは、全然ありませんというのが祝福リングに表れているのです。> 全くそのとおりです。ドン栗さん反論できないでしょうね。刻印ですから、「お母様」が直接彫っているわけじゃない。サインさえ残っていればサインの刻印はできるという極めて単純な話です。
おろカブ!
そもそも祝福リングにご父母様のサインが刻印されるのって、いつからなんですかね?
私のリングには何もありませんけど。
まぁそれはさておき。
「お父様のサインも刻印するべきだ!」と思われた方。
じゃあ、既に「別のもの」にお父様がされたサインを流用すれば満足でしたか?
サインてのは「承認した」という意味ですよ。日本でいえば「ハンコ」です。
それを「亡くなっているから」といって、別の目的で押したハンコを勝手に使うんですか?
メシアのサインをいったい何だと思っているんです?
これまでの「お父様」が存命中の祝福で刻印がされたリングはないでしょう。
刻印などしなくても、その祝福を「お父様」が承認していることは明らかですから、、。
いままでなかった刻印をしなくてはならない。しかも「お母様」単独の名前で。
そこに理由、意図、思惑があるのは当然でしょう。
「お父様がされたサインを流用」という言にはため息がでます。
問題の本質は「お母様にお父様を代理する権能はあるか」という事であって、写真の左右やら座席やらは、その結論が出てからの話です。
お母様がお父様を代理しても問題ではないと考えるならば、これらの事は問題にすらならないからです。
少なくともお父様自らが「爆破者」とされた方や、真の父母に対して公然と「サタン」と罵る方よりも、お母様の方がメシアを代行するに相応しいと考えるのが当然かと思いますけどね。
これに対して「違う」というのならば、真正面から正々堂々と「メシアを代行する資格」について論じれば良いだけのこと。
低レベルなネガキャンに徹するしか能が無い支持者しかいないようでは、先も見えようかというものですね。
よく考えるのが良いでしょう。
「お父様を代理する権能はあるか」これも”超絶に間抜け”です。
すでに、お父様が変えてはならぬと言われたものを、お母様が変えられたことは周知の事実です。
「重複した内容を整理した」という「新天聖経」から”顕進氏らに関する記述”や”不都合な記述”が消されたのは疑いようがありません。
家庭盟誓、祈祷、、、そして、お父様の位置に座し、写真も変えるetc
そして、自らを「神」、「メシア」とのたまふ。
それを指摘され、たとえ「お母様はお父様の代理者にふさわしくない」と言われても、「お母様にお父様を代理する権能はある」とドン栗さんはいわれることでしょう。
同様に、顕進氏も亨進氏も「自分こそお父様を代理する権能はある」と主張するでしょう。
それを主張する”其々の理由”もあるのですから、、、。
どんなに「お母様にお父様を代理する権能はあるか」を論じたところで「ない」とする人にはなく、「ある」とする人にはあるというだけです。
リングの刻印は、他の改訂同様、”権力”が自分に移ったことを誇示しているだけでしょう。
「絶対化」の象徴です。
「お母様の路線」に賛同であれば、その先に何があっても突き進めばよいでしょう。
「低レベルなネガキャン」ではなく、真剣かつ真摯に考えてみるべき内容だと私は思いますよ。
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